『西郷どん』あれこれ「変わらない友」2018-04-10

2018-04-10 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年4月8日、第13回「変わらない友」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/13/

前回は、やまもも書斎記 2018年3月27日
『西郷どん』あれこれ「運の強き姫君」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/27/8812513

今回は、西郷と大久保の話。その友情である。

大久保利通が、西郷の盟友であり、西郷とともに明治維新をなしとげ、さらに、西郷の死後、近代国家日本の礎をつくった……これは、知られていることである。その大久保と西郷とは、鹿児島の同じ郷中の隣であった。そして、幼いころより一緒に育ち、友情を育んできた。まあ、この西郷と大久保のことは、例えば海音寺潮五郎なども描いているところではある。

大久保は、どちらかといえば、怜悧な能吏という印象で語られることが多いようである。だが、このドラマでは、熱血漢という側面を強く描いているようだ。

西郷の努力で、大久保も江戸に行けることになった。だが、大久保はそれを素直に受け入れない。どこか、屈折している。しかし、江戸に行きたいという強い気持ちにかわりはない。その背中を押すことになるのが、新しい妻・満寿ということであった。

ところで、江戸で西郷は、斉彬の薫陶を受ける。そのことによって西郷は、世界を見る目をやしなっていく……ということのようなのであるが、どうもとってつけたような印象がある。

やはり、このあたりが西郷隆盛という人物の描き方で難しいところなのであろう。一つの「人格」としての西郷と、幕末から明治維新にかけて辣腕をふるった策士(とでもいっていいだろう)としての西郷と、この二つの面を同じ人物の中に描かないといけない。だからこそ、今でも、西郷隆盛という人物は、魅力的な人物として歴史の中で語られてきているのであろうが。

それから、この当時にあっては、西欧列強と肩をならべるための富国強兵をめざす素朴なナショナリズムが、それなりに説得力のあるものとしてある。まだ、日本が、いわゆる帝国主義的侵略国家として振る舞うようになる前のことである。(ただ、私は、日本がそのような道を歩まざるをえなかったことを、今日の視点から、断罪するような視点でものを考えたくはないと思うのであるが。そのような歴史観には私はくみしない。)

このあたりも、西郷隆盛ぐらいまでは、生まれ故郷・鹿児島に対するパトリオティズム、リージョナリズム、それが、近代国家をめざすナショナリズムに結びついていて、違和感がない。まだ、『坂の上の雲』の前の時代である。これを自然なものとして描くことのできる時代と言っていいのだろう。

追記 2018-04-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月17日
『西郷どん』あれこれ「慶喜の本気」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/17/8828223