『西郷どん』あれこれ「殿の死」2018-04-24

2018-04-24 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年4月22日、第15回「殿の死」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/15/

前回は、
やまもも書斎記 2018年4月17日
『西郷どん』あれこれ「慶喜の本気」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/17/8828223

この回で、島津斉彬が死んでしまった。ほとんど「ナレ死」と言ってもいい。まあ、斉彬が死ぬことは、歴史の結果を知っている今日の我々からすれば分かっているこのなので、そこをどういう解釈で、どう描くか興味があったのだが、意外とあっけなかった。これは、以前に、斉彬暗殺未遂ということを描いておいたので、そちらから推測してくれ、という脚本の意図なのかもしれない。

斉彬が死んで、〈西郷〉が〈斉彬〉になる。ここでは、西郷吉之助の封建的忠誠心がいかんなく発揮されていた。そして、桜島を背景にして語り合う斉彬と西郷。薩摩という地に対する、パトリオティズム、リージョナリズム、これもまた存分に描かれていた。

斉彬、それから、西郷が夢みるのは、富国強兵である。それも、国の民百姓が潤うことを基本にした、農本主義と言ってもいいだろう。その延長に、西欧列強に対峙することのできる日本を作っていかねばならないというナショナリズムがある。ここで、そのナショナリズムは、きわめて肯定的に描かれていることになる。

無論、現在の歴史の見方からすれば、幕末のナショナリズムのなかに、帝国主義的要素を見いだすということもあり得るかもしれない。だが、ここは、素朴に、西欧列強諸国の脅威にさらされているなかで、日本の生き残る道をさぐるものとしてのナショナリズムを、素直にうけとめておきたいと思う。

封建的忠誠心、パトリオティズム、リージョナリズム、そして、ナショナリズムが、一つになって、〈西郷〉という人格の中に形成されたことを確認することになった。

西郷は、斉彬に建言する。兵をひきいて京に上る。そして、その武力を背景にして、公武合体による国論の統一、近代的な国家建設に向かう……これは、その後の幕末から明治維新の原動力となったことである。だが、結果的には、徳川幕府を滅ぼして、明治政府を作るということにはなったのだが。

この西郷の建言があって、斉彬が死ぬことになった。この後は、西郷が斉彬の意図したことを自らのものとして、幕末の薩摩藩をひきいて、倒幕へと向かうことになるのだろう。だが、これから、安政の大獄があり、また、西郷は流罪になるはずである。そう簡単にことがはこぶわけではない。

幕末の政情と、西郷の境遇を、これから、どのように描いていくことになるのだろうか。

追記 2018-05-01
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月1日
『西郷どん』あれこれ「斉彬の遺言」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/01/8838524