本居宣長記念館に行ってきた(その二)2018-04-28

2018-04-28 當山日出夫(とうやまひでお)

本居宣長記念館

続きである。
やまもも書斎記 2018年4月27日
本居宣長記念館に行ってきた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/27/8834173

この施設について私の感じるところとして述べるべきことは、次の二点に整理できるだろうか。

第一は、本居宣長記念館は、本居宣長の「アーカイブズ」である、ということである。あるいは、本居宣長関係の、「MLA」複合施設と言ってもよいかもしれない。

本居宣長の著作(版本)のみならず、その草稿もある。また、知人との書簡もある。描いた絵図などもある。文献を読んでの抜き書き・メモのようなものも残っている。また、『古事記伝』については、その版木も残されている。あるいは、書物の貸し借りの記録などもあったりする。さらには、今日において刊行されている、本居宣長全集をはじめ、関連する国学関係の書籍もある。

ここには、本居宣長という人物、およびその周辺にいた人びとの活動の記録が総合的にのこされている。これを、今日の観点からみれば、本居宣長アーカイブズ、と言ってもいいにちがいない。また、その収蔵品の種類から考えるならば、MLA(ミュージアム=博物館、ライブラリ=図書館、アーカイブズ=資料館)、この三つの性格を兼ね備えた施設であるということである。

第二は、この本居宣長記念館の展示から私が見てとることができたのは、本居宣長の知的生産の技術、と言ってもいいだろう。

例えば、書き込みや付箋のつけられた版本(万葉集など)。絵図(これは春庭の手になるものであった)。様々な図像(宣長はアイデアを絵に描いて考えていたようだ)。参考資料・文献の抜き書きのカードのようなもの。実地調査の記録(今でいえばフィールドワークといえるだろう)。各種の草稿の類。全国にいる国学者どうしでやりとりした手紙。

これら、多様な資料が残っている。ここから見えてくるのは……私が見たときの展示は、『古事記伝』をテーマにしたものであったが……まさに、『古事記伝』という業績が生まれてくる背後に、どのような知的活動がなされていたのか、その生々しい資料群である。

これを、今日の言い方でいうならば、本居宣長の知的生産の技術、と言っていいだろう。

以上の二点、本居宣長のアーカイブズ、あるいは、MLA、また、本居宣長の知的生産の資料群、これが、この施設・展示から感じたところである。

また、それから、本居宣長の旧居(鈴屋)が、もとにあったところから移築されてきて、記念館からちょっと上ったところに建っていた。これは、中に入ることができるし、床の上にもあがってかまわなかった。

印象としては、こんなに小さな家だったのか、ということである。今でいえば、3LDKぐらいになるだろうか。畳の大きさも、小さいようであった。この家で、家業の医者の仕事をしながら、学問にうちこんでいたのであろうと思うと、感慨無量というべきである。

この建物が残っていたのは、おそらく松阪の街が古い町並みのまま保存されてきたということもあるだろうし、明治になってから、平田篤胤国学などを中心にして、国学の遺跡を保存しようという機運などがあってのことだろうと推測する。旧居の側には、石碑が立っていたが、書いていたのは、上田萬年である。

『本居宣長全集』(筑摩版)は買ってもっているのだが、なかなか本格的に宣長の著作にとりくむことができないでいる。これから、徐々に仕事を整理しながら、本を読む時間を大切にしてすごしたいと思うようになってきている。そのなかで、宣長の著作にすこしでも親しむことができるようにしたいものである。

また、『やちまた』(足立巻一)も、『本居宣長』(小林秀雄)も、さらに再読しておきたいと思う作品である。