『あやかし草紙』宮部みゆき2018-05-12

2018-05-12 當山日出夫(とうやまひでお)

あやかし草紙

宮部みゆき.『あやかし草紙  三島屋変調百物語伍之続』.KADOKAWA.2018
https://www.kadokawa.co.jp/product/321712000436/

この本で、三島屋シリーズは、いったん一区切りになるようだ。おちかは三島屋を離れることになる。

ところで、昔、学生の頃にならったこと……怪異というのは、場所・土地に属するものとしてある、このような意味のことを、国文学の講義で聴いた。あるいは、本で読んだのだったろうか。習ったのは、池田彌三郎先生である。

例えば、『今昔物語集』を読むと、ある土地には、必ず幽霊、お化け、妖怪が出る。その土地におこる現象であり、その土地に居着いているものとしてである。このような発想を持って見るならば、この三島屋シリーズは、おちかという女性の物語であると同時に、黒白の間という場所の物語でもある。三島屋のその部屋においてこそ、「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」の物語、それは怪異の物語である、が成立する。

おちかは、三島屋を離れるが、黒白の間は残る。そこには新たな、物語の聞き手が待っている。この意味では、この三島屋シリーズは続編があるのだろう。

そして、この三島屋シリーズは、怪異といっても、恐怖を感じるような怪異ではない。この世の道理、合理性では割り切ることのできない、不可解なものである。さらにいえば、この世の中の不条理、理不尽といってもいいだろう。それが、黒白の間という場所を得て、語られるとき、いわゆる怪異の話しになる。

宮部みゆきは、この世に生きる人間の、その人生の根底にある、何かしら割り切れないもの、不可解なものを描こうとしているように、私には思える。かつて、現代小説で、非常にリアルな視点で、現代社会のかかえる問題をえぐり出すような作品を書いていた。だが、それが、時代小説を描くようになって、人間を見る目がやさしくなったような気がする。あるいは、所詮、人間なんてそう簡単に分かることのできないものだよ、というおおらかな視点を身につけたとでもいおうか。

三島屋シリーズにおいても、過酷な人間の運命とでもいうべきものがないではない。しかし、それを描きながらも、どこか人間を見る目としては、やさしさのようなものを感じてしまう。あるいは、冷酷に徹しきっていない、とでもいうべきかもしれない。どんなに冷酷な、残忍な物語であっても、最後は、黒白の間において、ふっと一息つくようなところがある。

さて、この百物語、はたして100まで続くことになるのであろうか。