『谷間の百合』バルザック2018-05-28

2018-05-28 當山日出夫(とうやまひでお)

谷間の百合

バルザック.石井晴一(訳).『谷間の百合』(新潮文庫).新潮社.1973(2005.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/200501/

おそらく、文学を読む楽しみ……このようなものを考えてみるならば、この作品を読む時間などを言うのであろう。なんという芳醇な文章であることよ、静謐で落ち着いている、が、しかし、その奥底には、官能的で情熱的なこころを秘めている。まさに、文学、としか言いようのない作品である。

ストーリーは、いたって単純である。主人公(語り手)は、青年のフェリックス。それが、モルソフ伯爵夫人に恋をする。そして、その住まいする、郊外の館を、足繁くおとづれる。その時の、主人公の心、それに答える夫人の言葉。基本的には、ただこれだけといってよい。波瀾万丈の大活劇があるという作品ではない。登場人物も限られている。ほとんど、主人公の青年と伯爵夫人のみ。

全編、ほとんどが、主人公の「語り」によっている作品でもある。その語り手の夫人への思い……それは恋である……ただ、ひたすら連綿とつづられる。読んでいって、その語りの世界のなかにひたりこんでいく。そこにあるのは、甘味な文学的な世界である。

今、新潮文庫で読めるバルザックの作品というと、『ゴリオ爺さん』とこの『谷間の百合』だけのようである。『ゴリオ爺さん』は、去年、読んだ。

やまもも書斎記 2017年5月27日
『ゴリオ爺さん』バルザック
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/27/8575690

この作品も、同じように、19世紀初頭のフランスの歴史的、社会的背景について、知らないと、よく分からないところがある。しかし、『谷間の百合』は、そのようなハンディ(と言ってもいいかもしれない)とは関係なく、作品の世界のなかに没入していけるところがある。それは、「恋」というものの普遍性とでもいうべきなのかもしれない。文学というものが、何かしら普遍的なものを持ちうるとするならば、まさに、『谷間の百合』は、恋する心というものを普遍的に描き出した文学作品の傑作ということになるのであろう。

強いていうならば、このような作品を読んで感動するところがあるのが、「もののあはれを知る」ということなのだと感じる次第でもある。

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