『俘虜記』大岡昇平2018-06-02

2018-06-02 當山日出夫(とうやまひでお)

俘虜記

大岡昇平.『俘虜記』(新潮文庫).新潮社.1967(2010.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/106501/

大岡昇平を読んでおきたくなっている。近年で読んだものでは、『事件』がある(再読)。

やまもも書斎記 2017年11月30日
『事件』大岡昇平
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/30/8737349

その後、『パルムの僧院』を読んだ。新潮文庫版を訳していたのは、大岡昇平である。

やまもも書斎記 2018年5月10日
『パルムの僧院』スタンダール
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/10/8848192

さらに読んでみたのが、『武蔵野夫人』である。
やまもも書斎記 2018年5月26日
『武蔵野夫人』大岡昇平
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/26/8859825

大岡昇平の作になる『レイテ戦記』が、新しく改版されて中公文庫で刊行中である。四巻になる。これは読もうと思って買っている。夏休みにでも、まとめて読むつもりでいる。これも再読になる。

そして、手にしてみたのが『俘虜記』である。大岡昇平の文壇デビュー作と言っていいのだろう。これは、読んでいなかった。短篇集であるが、その中で名高いのが冒頭にある「捉まるまで」である。昭和23年『文学界』。その後、短篇集『俘虜記』として、昭和27年に創元社から刊行ということになる。(以上、新潮文庫の解説による。)

「捉まるまで」(発表時のタイトルは「俘虜記」)であるが……なんという特異な戦争文学であることか、というのが読んでみて感じることである。冷徹なリアリズム、というのとはちょっと違う。確かに、主人公は冷静に、自分の行動をふりかえっている。だが、ここで細密に記述されるのは、自分の心理についてである。なぜ、自分は、敵兵を撃たなかったのか、この一点をめぐって、実に精緻な心理描写がなされている。

近代のリアリズム小説、その真骨頂は人間の心理描写にあることになるのだろう。この心理描写において、人間のおかれた極限状況とでもいうべき戦場にあって、おどろくほどの冷静さで、自己の心理を記述している。

この「捉まるまで」で示されたような、冷静で客観的な視点、正確な心理描写、これがあって、後の『野火』や『レイテ戦記』さらには『事件』のような作品へとつながっていくことが、感じ取れる。いや、『事件』のような作品を読んで、被疑者も、検察官も、弁護士も、裁判官も、いずれの立場をも突き放して書いている筆者の孤高とでもいうべき視点の取り方に、『俘虜記』のような作品があってのことかと、感じるところがある。また、姦通小説とでもいうべき『武蔵野夫人』、これについても、人間の心理をみつめる客観的な冷徹なまなざしを感じる。

「捉まるまで」が書かれたのは昭和23年である。まだ、戦争の記憶が人びとの中に、同時代のものとしてあったころになる。その時代において、自分が捕虜になった顛末をここまで冷徹に語ったこの作品は、それだけでも際だった著者の文学的資質を感じるところがある。

大岡昇平という作家、これまでいくつかの作品を読んではきたが、ここにきて、改めて、近代文学史において、特筆すべき作家の一人であったと思う。『レイテ戦記』をきちんと読み直しておきたいたいと思っている。

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