『半分、青い。』あれこれ「息がしたい!」2018-06-11

2018-06-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『半分、青い。』第10週「息がしたい!」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_10.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年6月3日
『半分、青い。』あれこれ「『半分、青い。』あれこれ「会いたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/03/8866086

いつもは、日曜日にアップロードするのだが、東京に行っていて留守にしていたので、一日おくれて月曜日になった。

この週の見どころは、清(さや)か・・・魔性の女という感じだった。律の指にマニキュアを塗るシーンは、妖艶ですらあった。

このドラマ、NHKの朝ドラにしては、登場人物の心理が屈折しているように思う。近年の作、前作『わろてんか』でも、その前の『ひよっこ』でも、登場人物、特にヒロインは、感情の表現がストレートであった。恋も一途なもので、ひとりの男性を求めるという感じだった。

だが、『半分、青い。』では、鈴愛の恋はストレートに表現されない。正人には、恋をしてもふられてしまった。といって、正人に別に恋人ができたというわけでもない。そして、律との関係は、幼なじみなのか、それとも、恋人なのか・・・たぶん、鈴愛にとっては、幼なじみの延長として自然に側にいる人間として思っているのだろう。そこに、清が、律の恋人としてわりこんでくる。

律も、鈴愛のことは、忘れてしまった訳ではない。だが、清の登場によって、その鈴愛への気持ちが動揺している。はたして、自分は、鈴愛のことをどうおもっているのだろうか、自問するかのごとくである。

このあたりの錯綜する、幼なじみとして、恋人として、様々な人間関係が、各回ごとに新たな展開をみせて描かれている。これは、これまでの朝ドラになかった路線ではないだろうか。(強いて言えば、朝ドラというよりも、昼や夜のドラマにふさわしいとでもいえるかもしれない。)

そして、秋風の存在。鈴愛は、漫画家を志望している。漫画に描くことで、自分におこったこと、自分の心をみつめることになる。それを、作品にすることで、現実から、虚構の世界に飛翔することができる・・・のかもしれない。

東京に出てきてしばらくするのに、いまだに岐阜方言が抜けていない鈴愛。一方で、律は、岐阜方言ではなくなってしまっている。どちらが、自分の心に素直に生きていることになるのだろうか。おそらく、岐阜方言で話している鈴愛の方が、自分の気持ちに素直に生きていくことになるのだと思って見ている。

鈴愛と清との確執の結果であるが、フクロウ会の思い出の写真がやぶれてしまった。鈴愛と律がならんで写っていたのが、別れ別れになってしまった。これは、これからの二人を象徴しているのだろう。

漫画という虚構の世界で生きることになるかもしれない、その一方で、現実から逃避もできないでいる、この鈴愛は、これからどう生きていくことになるのだろうか。次週以降を、楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-06-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年6月17日
『半分、青い。』あれこれ「デビューしたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/17/8895939

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