『羊と鋼の森』宮下奈都2018-06-22

2018-06-22 當山日出夫(とうやまひでお)

羊と鋼の森

宮下奈都.『羊と鋼の森』(文春文庫).文藝春秋.2018 (文藝春秋.2015)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167910105

この文庫本のHPを見ると、
第13回本屋大賞
第4回ブランチブックアワード大賞2015
第13回キノベスト!2016第1位

とある。このたび映画化もされる。話題の本ということで読んでみることにした。

この小説の主人公は、ピアノ……と、言っていいだろう。調律の話しであり、ほとんど徹頭徹尾、ピアノの調律にまつわる話しで物語が進行する。

読み始めて、この作者は、芸術が分かっている人だなと感じたのは、次の箇所。

「「美しい」も、「正しい」と同じように僕には新しい言葉だった。ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ。/その証拠に、ピアノに出会って以来、僕は記憶の中からいくつもの美しいものを発見した。」(p.24)

この小説は、ピアノとピアノの調律を主人公として、美しいものを発見していく物語である。そう思って読んでいくと、登場人物のピアノと調律への傾倒に、共感しながら読んでいくことになる。およそ、芸術とは何であるかが分からないと、この小説……たいした大事件が起こるわけでもない……は、退屈な調律の蘊蓄だけの小説に思えるのかもしれない。芸術を分かる感性を持っていてこそ、この小説を読んでなるほどとうなづくところが多々ある。

また、次の箇所など。

「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。」(p.246)……と、ここを書いた後、出版社のHPを見たら、同じ箇所が引用してあった。誰が読んでも、この引用箇所に本書の特色が出ているということなのだろう。

芸術至上主義というのとはちょっと違っている。芸術に価値をみいだしている。そこに、調律という立場から関与することになることに、生きることの意義を見いだしている。

ところで、我が家にもピアノはある。誰も弾かないのであるが、定期的に調律はしている。そのうち、我が家に誰か、ピアノを弾く人間が出てくるまで、じっと待っているかのごとくである。ピアノには、その時を待っていてもらうことにしよう……この本を読んでそう思った次第である。

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