『半分、青い。』あれこれ「羽ばたきたい!」2018-07-08

2018-07-08 當山日出夫(とうやまひでお)

『半分、青い。』第14週「羽ばたきたい!」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_14.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年7月1日
『半分、青い。』あれこれ「仕事が欲しい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/01/8906998

この週で、鈴愛の人生は大きく動いた。

第一に、週の前半。漫画家をやめる。

ここで鈴愛は、漫画家の道を断念する。ここ描き方は、かなりシリアスなものがあったと感じる。漫画という創作にかかわる仕事に行き詰まったとき、その先にあるのは、自分に才能があるかどうかの見極めである。鈴愛は、ここで、自分には漫画家としての才能が無いと、自ら判断を下しておりる決断をしている。

ジャンルは違うとはいえ、ドラマの脚本を書く仕事も、創造にかかわる仕事である。ここで、作者(北川悦吏子)は、暗黙のうちに、自分はこれからも脚本家としてドラマを書いていく……この決意を、語っていたように見ていて感じるところがあった。

漫画家としての才能について、厳しくつきつけられたのは、恩師・秋風羽織との合作の形で発表されることになった、「月が屋根に隠れる」である。これが、鈴愛の単独の作品であれば、また次に頑張ればいいとなったかもしれない。しかし、合作という形をとることによって、茫漠とストーリーを考えるのと、それを、確実に一つのイメージとして、絵に描いていくこととは、大きな隔たりがある。それをつきつけられて、鈴愛は自らの才能に絶望することになった。

このような創造にかかわる仕事について、シリアスな描き方をするのは、ある意味で、脚本家である北川悦吏子に、それだけの自信があってのことであろうと思う。自信というよりも、自らの覚悟といってもいいかもしれない。

第二に、その後の鈴愛である。

その間の紆余曲折は、あっさりと省略して、いきなり百円ショップのアルバイト店員ということになってしまった。ここで、ボクテと裕子の登場、あるいは、故郷の岐阜の家族が出てこなかったら、まるで違うドラマがいきなりはじまったかのごとくである。

その百円ショップも、なにかいわくがありげである。オーナーの三姉妹。それから、映画監督とその助手(助監督)の二人。

このドラマでは、この時代の世相をあまり描かないようでもある。鈴愛が、転職した時期は、バブル崩壊後の失われた時代でもある。この時代の若者が、どのように考えて仕事を選んでいったのか、このあたりの事情は、このドラマでは描いていない。バブル崩壊と、漫画家失業とが、重なったのが鈴愛の人生の不運という気がしないでもないが、このような方向からは、ドラマは描かないようである。

職を探すにあたって、漫画家をやっていたという経歴は、無職であったより悪い……という意味のことを言っていたかと思うが、言い得て妙である。だが、このところは、あっさりと流してしまって、百円ショップ・大納言のアルバイト店員になるところからスタートしていた。

以上の二点が、この週の見どころかと思う。

前半と後半で、まったく違った状況で生きる鈴愛。それを、一つの週の中でつないで見せたのは、脚本のうまさというべきであろうか。そして、次週は、結婚ということになるのだろうか。

ところで、律はもう出てこないのだろうか。これも今後の展開で気になるところである。

追記 2018-07-15
この続きは、
やまもも書斎記 2018年7月15日
『半分、青い。』あれこれ「すがりたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/15/8916952