『老人と海』ヘミングウェイ ― 2018-07-30
2018-07-30 當山日出夫(とうやまひでお)
ヘミングウェイ.福田恆存(訳).『老人と海』(新潮文庫).新潮社.1966 (2003.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/210004/
世界文学の読み直し。今日は、『老人と海』である。最初、この作品を読んだのは、高校生のころだったろうか。その当時の新潮文庫版で読んだかと覚えている。今回、改版されて新しくなっている新潮文庫版で再読してみた。
昔、読んだときの印象として覚えていることは……老人が、苦労して海に出て魚を釣って、そして、港へ帰る途中でサメに食べられてしまう話し……このように記憶していた。読み返してみて、その大筋の印象にかわりはない。
とはいえ、何十年ぶりかに再読してみて感じることとしては、文章の簡潔さの魅力。そして、自然描写の確かさ。主人公である老漁師の視点で描いてある、その硬質な語り口。これは、多分に福田恆存の訳文の影響もあるのだろうが。
この文庫本の解題を書いているのは、訳した福田恆存である。福田恆存は、アメリカ文学というものを、そもそも高く評価するところがなかった。が、この作品は、その中にあって、特筆すべきものであると論じている。
ヨーロッパ諸国のような、古代・中世からの「伝統」に根ざした文学、それを、新しい国であるアメリカに求めるのは、無理というものかもしれない。保守主義者である福田恆存としては、そう考えることになるのであろう。時間の原理の上にあるヨーロッパ文学に対して、空間の原理の上になりたつアメリカ文学、このようなことを解説で書いている。
だが、この『老人と海』を読んで、私が感じるのは、文学・文化の伝統(時間)であるよりも、自然(空間)と人間である。その自然と人間の営みは、時間的に遙か昔から続いてきたものであり、それを作品のなかに感じる。自然と人間を描いた文学、それは、時間の文学である……このような観点から見るならば、『老人と海』は、傑出した作品であるといえよう。
この作品で描かれた自然……海……は、暴力的ではない。しかし、微温的でもない。ただ、厳然として人間の前にある。そのなかで、人間は、その営み……漁……をなす。しかし、必ずしも成功するとは限らない。が、海で暮らす漁師である老人にとっては、海に出て漁をする以外の生き方はあり得ない。厳然たる自然と、そのもとにある人間。その人間も、決して自然の前に卑小になってはいない。かといって、尊大にもならない。ただ、海とともに生活がある。
人間の前で猛威をふるう自然を描くのではない。人間を温かに見守るような自然でもない。ただ海があり、そこに暮らす漁師の生活があるのみである。過酷ではあるかもしれないが、それ以外の生き方はありえない。その暮らしは、豊かとはいえないかもしれなが、逆に、悲惨というわけでもない。ある意味では、きわめて充実した生活であるともいえようか。ここには、自然とともにあるストイックな人間像が描き出されている。
この作品は、世界文学の中で名作として読み継がれていくだろう。
http://www.shinchosha.co.jp/book/210004/
世界文学の読み直し。今日は、『老人と海』である。最初、この作品を読んだのは、高校生のころだったろうか。その当時の新潮文庫版で読んだかと覚えている。今回、改版されて新しくなっている新潮文庫版で再読してみた。
昔、読んだときの印象として覚えていることは……老人が、苦労して海に出て魚を釣って、そして、港へ帰る途中でサメに食べられてしまう話し……このように記憶していた。読み返してみて、その大筋の印象にかわりはない。
とはいえ、何十年ぶりかに再読してみて感じることとしては、文章の簡潔さの魅力。そして、自然描写の確かさ。主人公である老漁師の視点で描いてある、その硬質な語り口。これは、多分に福田恆存の訳文の影響もあるのだろうが。
この文庫本の解題を書いているのは、訳した福田恆存である。福田恆存は、アメリカ文学というものを、そもそも高く評価するところがなかった。が、この作品は、その中にあって、特筆すべきものであると論じている。
ヨーロッパ諸国のような、古代・中世からの「伝統」に根ざした文学、それを、新しい国であるアメリカに求めるのは、無理というものかもしれない。保守主義者である福田恆存としては、そう考えることになるのであろう。時間の原理の上にあるヨーロッパ文学に対して、空間の原理の上になりたつアメリカ文学、このようなことを解説で書いている。
だが、この『老人と海』を読んで、私が感じるのは、文学・文化の伝統(時間)であるよりも、自然(空間)と人間である。その自然と人間の営みは、時間的に遙か昔から続いてきたものであり、それを作品のなかに感じる。自然と人間を描いた文学、それは、時間の文学である……このような観点から見るならば、『老人と海』は、傑出した作品であるといえよう。
この作品で描かれた自然……海……は、暴力的ではない。しかし、微温的でもない。ただ、厳然として人間の前にある。そのなかで、人間は、その営み……漁……をなす。しかし、必ずしも成功するとは限らない。が、海で暮らす漁師である老人にとっては、海に出て漁をする以外の生き方はあり得ない。厳然たる自然と、そのもとにある人間。その人間も、決して自然の前に卑小になってはいない。かといって、尊大にもならない。ただ、海とともに生活がある。
人間の前で猛威をふるう自然を描くのではない。人間を温かに見守るような自然でもない。ただ海があり、そこに暮らす漁師の生活があるのみである。過酷ではあるかもしれないが、それ以外の生き方はありえない。その暮らしは、豊かとはいえないかもしれなが、逆に、悲惨というわけでもない。ある意味では、きわめて充実した生活であるともいえようか。ここには、自然とともにあるストイックな人間像が描き出されている。
この作品は、世界文学の中で名作として読み継がれていくだろう。
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