『夏の花』原民喜2018-08-10

2018-08-10 當山日出夫(とうやまひでお)

夏の花

原民喜.『小説集 夏の花』(岩波文庫).岩波書店.1988
https://www.iwanami.co.jp/book/b248818.html

原民喜の名前は知っていた。それを、最近、再び目にしたのは、『羊と鋼の森』(宮下奈都)においてである。

やまもも書斎記 2018年6月22日
『羊と鋼の森』宮下奈都
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/22/8900199

この作品中に、原民喜への言及がある。まず、そこを引用しておきたい。

「外村君は、原民喜を知っていますか」
 原民喜。聞いたことはある気がする。調律師ではなかったと思う。演奏家だろうか。
「その人がこう言っています」
板鳥さんは小さく咳払いをした。
「明るく静かに懐かしい文体。少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
(p.65)

また、最近出た本として、

梯久美子.『原民喜』(岩波新書).岩波書店.2018

がある。

梯久美子については、『狂うひと』を読んだ。

梯久美子.『狂うひと-「誌の棘」の妻・島尾ミホ-』.新潮社.2016

この本がよかったので(まだ、ブログには書いていないが)、岩波新書の方も読んでみることにした。で、その前に、まず、原民喜の作品を読んでおきたいと思った。岩波文庫で二冊出ている。『小説集 夏の花』と『原民喜全詩集』である。

「夏の花」についていえば、名前は知っていたが、まだ読んでいない作品であった。概要として、広島の原爆のことを描いた作品であることは知ってはいた。その作品を実際に読んでみての印象としては……「夏の花」は、きわめて硬質の叙情性を持った作品である、ということである。

この作品は、昭和二〇年のうちに書かれている。広島の原爆の記憶の生々しいころである。その時点において、いわゆる私小説のスタイルで、その被災の様子を綴ってある。描かれている被災の状況は、きわめて悲惨である。だが、それを書いている著者の目は、冷徹でもある。そして、文章の背後に、なにかしら透徹した叙情性のようなものを感じてしまう。

原爆の被災という、この世における極限状況を描いた作品である。凄惨な場面も出てくる。だが、それを描写する著者のまなざしは、きわめて冷静である。

このような読み方は、間違っているだろうか。

原民喜は、詩人でもあった。若いころより小説を書いている。(このあたりの事情については、梯久美子の『原民喜』に詳しい。)私小説という枠組みがあり、詩人であり、そして、極度に精神のはりつめた状態で書かれた作品である。昭和二〇年のうちという、その体験が体の中に生きている間に書かれた作品は、原爆への怒りや悲しみという感情をまだ形成していない。それが、現れるようになるのは、もうすこし時間がたってからのことになる。被災直後の筆者の眼は、冷静な観察者のものであり、それと同時に、抒情詩人としての資質が、ギリギリのところまで抑制しているにもかかわらず、にじみ出ているのだと感じる。