日曜劇場『この世界の片隅に』第六話2018-08-22

2018-08-22 當山日出夫(とうやまひでお)

TBS日曜劇場『この世界の片隅に』第六話
http://www.tbs.co.jp/konoseka_tbs/story/v6.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年8月15日
日曜劇場『この世界の片隅に』第五話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/15/8942116

この回も、原作(漫画)に描いてあることを、かなり忠実になぞって脚本が書いてあった。漫画のドラマ化というよりも、原作(漫画)に描いてあるエピソードを、自在につなげて、場合によってはふくらませて、全体として一つのストーリーに作りあげてある。

なかで印象的なのは、花見のシーンだろう。花見に出かけて、すずは、リンと再会する。一緒に桜の木に登る。すずが茶碗を託した女性(テル)は、亡くなったと聞き、その遺品の口紅をもらう。これは、原作(漫画)でも、かなり丁寧に描いてあるところだが、ドラマでも、情感をこめて描いてあった。

はたして、リンは、周作の過去の女なのであろうか……このあたり、はっきりしないままで終わっていたが、これはこれでいいのだろう。

ただ、花見の弁当が、その当時としては、かなり豪勢な印象があったが、どうなのであろうか。このところがちょっと気になったところである。

空襲、防空壕などのシーンは、ドラマ化すると、ある意味でリアルにしか描けない。見ていて、ステレオタイプな印象があるのだが、これはいたしかたないだろう。このあたり、空襲については、漫画の方が、その恐怖を描くのに適しているように思える。漫画の方が、表現が自在である。

この回のキーワードは、「居場所」である。ドラマの脚本が独自に描いている、現代パートのなかで、「居場所」はどこにでもある、という意味のことが語られていた。語っていた女性は、すずの娘になるのだろうか。

ともあれ、『この世界の片隅に』という作品は、この世界のどこかに、自分の「居場所」がある、そんな確信、あるいは、希望のようなものを感じさせる。すずの人生は、決して幸福とはいえない人生であったのかもしれない。だが、戦時下という状況にあっても、どこかに自分の「居場所」を見つけて、生きている。どんな状況であっても、どこかに自分の「居場所」はあるのだ、というメッセージが、原作(漫画)からも、また、ドラマからも伝わってくるような気がしている。

そして、戦争によって失われるものとしての日常生活のいとおしさ、これがドラマでは情感豊かに表現されていたと見る。さりげない日常生活の細やかな描写が、それを破壊してしまう戦争というもののむごたらしさを、描くことにつながっている。このあたりは、岡田惠和脚本のうまさというべきであろう。

次回は、空襲後のすずの生活になる。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-09-05
この続きは、
やまもも書斎記 2018年9月5日
日曜劇場『この世界の片隅に』第七話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/09/05/8956540

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