『桜の園』チェーホフ2018-08-24

2018-08-24 當山日出夫(とうやまひでお)

桜の園

チェーホフの戯曲を順番に読んでいる。

前回は、
やまもも書斎記 2018年7月21日
『三人姉妹』チェーホフ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/21/8922202

いわゆるチェーホフの四大戯曲とされる作品のなかでは、これが最後になる。これも、若いころに読んだ記憶はあるのだが、もう今となっては覚えていない。いや、若い時には、チェーホフの戯曲の良さが分からなかったというのが、正直なところである。私の学生のころ、ロシア文学といえば、何よりもドストエフスキーという時代であったように思う。

今、再び、チェーホフを読んで感じることは、これらの作品が書かれた後、革命がおこりソ連が誕生する。そのソ連も崩壊してしまった。一世紀以上の時間をへだてて、ようやく、チェーホフの書こうとしたことが、二一世紀になって、感じ取れる。それは、混沌とした時代を経て後に、なおかつ未来への希望を語るとすれば、どのように語りうるか、ということであると思う。

『桜の園』であるが、この作品は、入り組んでいる。一読しただけではよくわからない。何度か読み返してみて、ようやく作品の輪郭がつかめるかといった感じである。この作品、一見したところ、ドタバタ喜劇のような印象がある。そのような喜劇的な描写を背景にして、零落していく過去の世代、それから、これからの未来に生きようとする世代、いろんな人びとの生き方が、舞台の上で交錯する。

二一世紀の混迷を深めている時代にあってこそ、一九世紀の世紀末に未来への希望を語ったチェーホフの作品が、世界の文学として読まれる時代がやってきたのだと思う。ソ連の崩壊という歴史的事件を経たのち、再度、若いときに読んだロシア文学の作品のいくつか……ドスエフスキーなどをふくめて……時間のゆるす限り読みなおしてみたいと思っている。