『春の戴冠』(三)辻邦生2018-09-07

2018-09-07 當山日出夫(とうやまひでお)

春の戴冠(三)

辻邦生.『春の戴冠』(三)(中公文庫).中央公論新社.2008 (新潮社.1977)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2008/08/205043.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年8月30日
『春の戴冠』(二)辻邦生
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/30/8952973

中公文庫の三冊目になる。

フィオレンツァの街を舞台にした、メディチ家と、パッツィ家の血みどろの抗争。凄惨な事件を背景にして、ボッティチェルリの代表作『ヴィーナスの誕生』が描かれる。

この三冊目を読みながら思ったことは、この小説は、ギリシア古典学者である「私」を語り手として、サンドロ(ボッティチェルリ)のことを主に描く……が、本当の主題とでもいうべきは、フィオレンツァの街なのではないだろうか。その街の栄光(と、その予感される衰退)が、この作品を読みながら、行間から伝わってくる。

たとえば、次のような箇所。

「どこの都市(まち)にもましてフィオレンツァの家並が美しく、塔や円屋根が家々の屋根と調和を保っているのは、フィオレンツァの人々が夢中になって都市の外観(すがた)を磨き上げようと努めているからだ。花の都(フィオレンツァ)においてだけ、住むことが、同時に美しさの実現となる」(p.215)

このような箇所を読むと、フィオレンツァの街そのものが、この小説の主題であるかのような印象をうける。

読みながら付箋をつけた箇所、かなりあるが、一箇所だけ引用しておく。

(サンドロの語ることとして)「〈神的なもの〉――時の力によっては滅びない〈永遠の姿〉――〈この桜草、あの桜草〉ではなく〈桜草の永遠の原型〉――を見つめ描いてゆくのが、ぼくらの仕事だとすれば、それは、時の中に盛衰する〈この世〉を高貴な不変の姿に高める行為(おこない)によって、新しい〈この世〉に結びつくことになるんだ。〈この世〉を切り棄てながら、別の形で〈この世〉と結びつく――それが画匠(マエストロ)の道だし、炎に焼かれながら新たに鋳直された技芸家(アルチスタ)の道なんだ。」(p.388)

他にいくつか、このような芸術を賛美する文言を、この作品には見いだすことができる。この引用のような芸術館、これこそ、辻邦生的な芸術の世界である。ヨーロッパ中世、ルネッサンスの時代に時代設定してはあるが、ここに見られるのは、まぎれもなく現代の辻邦生の芸術観である。このような芸術観に共感できるかどうかが、この作品を読めるかどうかということになるのだろうと思う。