『台湾生まれ 日本語育ち』温又柔2018-09-22

2018-09-22 當山日出夫(とうやまひでお)

台湾生まれ日本語育ち

温又柔.『台湾生まれ 日本語育ち』(白水Uブックス).白水社.2018 (白水社.2015 加筆)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b373639.html

最初に出た時にかってあった本であるが、白水Uブックス版が出たので、こちらも買って読んでみることにした。前の本が出てからの文章がいくつか、増補してある。

著者は、台湾生まれの「台湾人」であるが、日本で育ったので、「日本語」が母語でもある。その著者のおいたちから、幼いときの思い出、家族のなかでのこと、それから、成長してからのことなど、いろいろ書き綴ったものを、編集したものである。

はっきり言って、この本を読んでいて、もどかしい感じになる。いったいこの著者のアイデンティティーは何なのか、母語は何語なのか、どこの国の人間と思っているのか……そのもどかしさ、それ自体が、いきつもどりつしながら、概ね著者の成長にあわせて、その時々のエピソードを交えながら記してある。国と国籍と言語のことについて、この本においては、だいたい次のようになる……生まれは台湾、国籍は台湾、育ったのは日本、生活しているのは日本、そして、母語とする言語は、日本語・台湾語・中国語、である……このようなところにおちつく。ここに自分が納得しておちつくまでの経緯が、様々なエピソードや、その時々に思ったこと感じていたことを織り交ぜながらつづってある。

結論をきっぱりと言い切るという趣旨の本ではなく、著者のような境遇に育った人間なら、誰しもが直面し、悩むことになるであろう、様々な国家の歴史と言語についての考察をまじえながら、多方面から語ってある。

この本から、読みとるべきことはいくつかあるが、私の場合、次の二点である。

第一には、日本にいて、日本語を使って生活している人びとの、その背景は様々であるということの確認である。単純に、日本=日本語、というわけにはいかない。様々な事情……歴史的な事情、あるいは、現代社会における国際情勢の影響……などによって、日本語を母語とする、日本生まれでなはい人びとがいる。あるいは、逆に、日本生まれであっても、日本語を母語としない人びともいる。その生まれ、育ち、と、帰属する国家、国籍の関係は、実に多様である。また、個人レベルでのアイデンティティーも、簡単に論じることはできない。

第二には、台湾という「国」の言語の複雑さ。台湾は中国語の国の一つであるが、中国語だけではない。かつては、日本語がつかわれていた(日本の統治下にあった時代)。その後、中国語が国語として、使われるようになった。そのなかで、台湾において、古くから使われてきた、台湾語がある。

著者の祖父祖母の世代は、日本語の時代である。父母の世代は、中国語が国語として普及した時代になる。そして、著者は、幼いときに日本にやってきたので、日本語のなかで育つことになった。著者は、日本における台湾人家庭のなかで、日本語・中国語・台湾語の三言語を母語として、育ったことになる。

言語について語るとき、母語、第一言語は何であるか、強引に決めてかかることはできない。

以上の二点が、私がこの本を読んで感じるところである。

私が大学で教えているのは「日本語史」(科目名としては)である。では、日本語という言語と、日本という国の関係はどうなのか、日本=日本人=日本語、という単純な図式では考えられない。(このあたりのことについては、現代の日本語学、国語学の常識的見解といってよいだろう。)

言語と国家の問題については、日本という国家のありかた、日本語の研究のあり方について、きわめて批判的にとらえて論じることが、えてしてある。それは、そのとおりだと思うのだが、これまでの日本語の世界、今の日本語の世界、これからの日本語の世界、これらを、総合して相互に相対化しながらも、自分なりの立場を確立することがもとめられる、と私は考えている。この意味において、この本の著者のような人生が、現実に今の日本であるということは、非常に参考になるところがある。

この本からは、次の箇所を引用しておきたい。

 台湾の「国語」事情に思いを馳せるとき、「国語」という思想を支える「国家」なるものの本質的な脆さを、わたしは感じずにはいられない。台湾で暮らす人々が、ときの政府の方針一つで、「大日本帝国」の「臣民」にも「中華民国」の「国民」にもさせられる……両親の、祖父母の辿った道を考えるとき、わたしはいつもの問いに立ち返る。
 「国」って何?
 「国語」って何?
 ――私の「国語」は日本語だった。しかしわたしは日本の「国民」だったことはない。
(p.176)

結局のところ、言語の問題は、個々人のアイデンティティーについて、相互に尊重するところにしか、これからの解決策はない……当たり前のことのようだが、このことの思いを強くする。

追記 この続きは、
やまもも書斎記 2018年9月24日
『英語という選択』嶋田珠巳

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