『「宣長問題」とは何か』子安宣邦 ― 2018-10-06
2018-10-06 當山日出夫(とうやまひでお)
子安宣邦.『「宣長問題」とは何か』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2000 (青土社.1995)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086143/
本居宣長についての本を読んでいる。
前回は、
やまもも書斎記
『本居宣長』芳賀登
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/01/8967240
『「宣長問題」とは何か』は、以前に買ってしまってあった本である。買った時に、ざっと目をとおしたかと思うのだが、今回、改めて読み直してみることにした。
著者(子安宣邦)の言う「宣長問題」とは、次のようなものである。
「私がいま宣長を再浮上させ、いま問わなければならぬ「宣長問題」をこのように問題構成し、このように論じようとするのは、私たちの「日本」についてのする言及が、「日本」という内部を再構成し、「日本人」であることをたえず再生産するような言説となることから免れるためである。」(p.15)
そして、つづけて次のようにある、
「国語学が宣長と「やまとことば」の神話を共有しながら、〈国家語=国語〉をたえず再生産する近代の学術的言説であった(以下略)」(p.15)
このことについては、私としても特に異論があるということではない。いや、国語学、日本語学という学問の片隅で仕事をしてきた人間のひとりとして、このようなことには、自覚的であったつもりでいる。(そのうえで、あえて、自分の勉強してきたことを、国語学と言いたい気持ちでいるのだが。)
近代の国語学、日本語学、特にその歴史的研究という分野においては、基本的に宣長の国学の流れをうけつぎながら、その神道論だけは排除してきた歴史……端的にいえば、このようにいえるかもしれない。このような歴史を概観しながらも、であるなば、なおのこと、その学問の出自ということについて、考えてみなければならないと思う。
ところで、この本を読んで、納得のいったことの一つが契沖の評価。
「こうして契沖が再発見され、彼による国学の学問的な〈始まり〉の意義が、国学的道統の〈初祖〉荷田春満に代って強調されることになるのである。」(p.124)
今日から振り返ってみたとき、宣長の師匠は、賀茂真淵であり、さらに、その文献学的方法論の淵源をたどれば、契沖にたどりつく。荷田春満からはじまる国学の流れは、近代になってから、平田篤胤の門流によってひろめられた。(そういえば、私が、高校生のころ勉強した日本史の知識では、国学の「四大人」として、荷田春満からおぼえたのを、思い出す。)
ともあれ、今のわれわれにとって、『古事記』が「古典」であり、それを読み解くには、古代日本語……「やまとことば」といってもいいかもしれない……の研究と密接に関連している、このことはたしかである。だが、これも、ある意味では、本居宣長からの学問の継承のうえにのっているにすぎないとも言えるかもしれない。このところに、私としては、自覚的でありたいと思っている。
この本は、「宣長問題」に答えを出しているという本ではない。そうではなく、今の日本において、日本を語ろうとするとき、日本の古典を、あるいは、日本語について語ろうとするとき、本居宣長という存在を避けてとおることはできない、このことのもつ意味を再確認させてくれる本である。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086143/
本居宣長についての本を読んでいる。
前回は、
やまもも書斎記
『本居宣長』芳賀登
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/01/8967240
『「宣長問題」とは何か』は、以前に買ってしまってあった本である。買った時に、ざっと目をとおしたかと思うのだが、今回、改めて読み直してみることにした。
著者(子安宣邦)の言う「宣長問題」とは、次のようなものである。
「私がいま宣長を再浮上させ、いま問わなければならぬ「宣長問題」をこのように問題構成し、このように論じようとするのは、私たちの「日本」についてのする言及が、「日本」という内部を再構成し、「日本人」であることをたえず再生産するような言説となることから免れるためである。」(p.15)
そして、つづけて次のようにある、
「国語学が宣長と「やまとことば」の神話を共有しながら、〈国家語=国語〉をたえず再生産する近代の学術的言説であった(以下略)」(p.15)
このことについては、私としても特に異論があるということではない。いや、国語学、日本語学という学問の片隅で仕事をしてきた人間のひとりとして、このようなことには、自覚的であったつもりでいる。(そのうえで、あえて、自分の勉強してきたことを、国語学と言いたい気持ちでいるのだが。)
近代の国語学、日本語学、特にその歴史的研究という分野においては、基本的に宣長の国学の流れをうけつぎながら、その神道論だけは排除してきた歴史……端的にいえば、このようにいえるかもしれない。このような歴史を概観しながらも、であるなば、なおのこと、その学問の出自ということについて、考えてみなければならないと思う。
ところで、この本を読んで、納得のいったことの一つが契沖の評価。
「こうして契沖が再発見され、彼による国学の学問的な〈始まり〉の意義が、国学的道統の〈初祖〉荷田春満に代って強調されることになるのである。」(p.124)
今日から振り返ってみたとき、宣長の師匠は、賀茂真淵であり、さらに、その文献学的方法論の淵源をたどれば、契沖にたどりつく。荷田春満からはじまる国学の流れは、近代になってから、平田篤胤の門流によってひろめられた。(そういえば、私が、高校生のころ勉強した日本史の知識では、国学の「四大人」として、荷田春満からおぼえたのを、思い出す。)
ともあれ、今のわれわれにとって、『古事記』が「古典」であり、それを読み解くには、古代日本語……「やまとことば」といってもいいかもしれない……の研究と密接に関連している、このことはたしかである。だが、これも、ある意味では、本居宣長からの学問の継承のうえにのっているにすぎないとも言えるかもしれない。このところに、私としては、自覚的でありたいと思っている。
この本は、「宣長問題」に答えを出しているという本ではない。そうではなく、今の日本において、日本を語ろうとするとき、日本の古典を、あるいは、日本語について語ろうとするとき、本居宣長という存在を避けてとおることはできない、このことのもつ意味を再確認させてくれる本である。
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