『古典を読む 江戸漢詩』中村真一郎2018-10-18

2018-10-18 當山日出夫(とうやまひでお)

江戸漢詩

中村真一郎.『古典を読む 江戸漢詩』(同時代ライブラリー).岩波書店.1998 (岩波書店.1985)
https://www.iwanami.co.jp/book/b270253.html

岩波の同時代ライブラリー版で読んだ。今では、もう売っていない。古本で買った。(さがせば、もとの本を買って持っているかもしれないのだが、その元気もないので、古書で買うことにした。)

中村真一郎の本で、江戸の漢詩を意識するようになった。きっかけは、去年、ちくま学芸文庫で刊行になった『頼山陽とその時代』(上・下)を読んだことによる。これも再読である。最初、出た時に買ってざっと読んだままになっていたのだが、文庫版で新しく出たので、読んでみた。

こんどはじっくりと、引用してある漢詩にまで目をとおした。『頼山陽とその時代』には、あまり引用の漢詩に語釈をほどこすということをしていない。やや難渋するところもあったのだが、読み終えた。

この時に感じたのは、江戸時代の漢詩人に共感するところのある、現代に生きている自分……このおどろきである。いや、そのようなものとして、江戸時代の漢詩人を描き出したのが、中村真一郎の功績といえるのかもしれない。一八~一九世紀にかけての江戸後期の漢詩人の作品に、近代文学の萌芽とでもいうべき、自由で個人的で都市的な、さらにはデカダンスのイメージを読みとっている。

去年、『頼山陽とその時代』を読んだので、今年は、『蠣崎波響の生涯』を読もうと思った。ただ、これは、途中で中断してしまった。改めて、最初からじっくりと読んでおきたい。

ともあれ、明治になってから文明開化とともに起こった「近代文学」ではないところにある、一つの文学の流れとして、江戸時代からの漢詩文の世界があることは確かである。そして、それは、ある面では、明治の「近代文学」を越えた達成をしめしてもいる。

菅茶山(新日本古典文学大系)など、これから読みたい本の一つである。

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