『失われた時を求めて』岩波文庫(8)2018-11-19

2018-11-19 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(8)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 8』ソドムとゴモラⅠ(岩波文庫).岩波書店.2015
https://www.iwanami.co.jp/book/b270834.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月17日
『失われた時を求めて』岩波文庫(7)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/17/8999730

八巻目になった。この巻を読んで印象に残っているのは、次の三点。

第一には、同性愛のこと。

この「ソドムとゴモラ」の巻になって、いよいよ、本格的に同性愛ということがテーマとして浮上してくる。これを今日の、二一世紀初頭の感覚から読んでみるならば、すこしまどろっこしい描写かなと感じないではない。現代であるならば、もっとストレートな表現をとるだろう。

だが、プルーストがこの『失われた時を求めて』を書いた、ほぼ一世紀前の二〇世紀初頭においては、これはこれで、きわめて大胆なテーマであり描写であったのであろう。

「訳者あとがき」でも触れられていることだが……この作品中の同性愛(男性)については、相手のうちに「女性」を認識することでなりたっている、そのように理解される部分がある。このような箇所など、今日の感覚からすれば、逆に違和感を感じるところでもある。

第二には、ユダヤ人とドレフェス事件のこと。

この巻でも、ユダヤ人問題、そして、ドレフェス事件のことがとりあげられている。このあたりは、日本人の感覚では、今ひとつ理解のおよばないところのように感じる。だが、プルーストがこの作品を書いた当時のフランスにあっては、これらのことは、社会の喫緊の課題であったにちがいないことは、読みながら理解される。

第三には、祖母についての回想。

死んだ祖母のことを回想するシーン。この作品を読むと、人の死というものが、死そのもの事実としてよりも、その後に、回想されることによって、まさに想像力のなかに死を描き出すことによってこそ、死というものを実感する。このあたりの感覚というのは、プルーストならではのものなのであろう。

以上の三点が、この巻を読んで印象に残っているところである。

次は、第九巻になる。楽しみに読むことにしようと思う。

追記 2018-11-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月22日
『失われた時を求めて』岩波文庫(9)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/22/9001753

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