『西郷どん』あれこれ「さらば、東京」2018-11-20

2018-11-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年11月18日、第43回「さらば、東京」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/43/

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月13日
『西郷どん』あれこれ「両雄激突」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/13/8997195

このドラマ、頑張って作っていることは分かるのだが、今ひとつ共感できないところがある。前回も書いたことだが、「歴史」のドラマになっていないのである。あるいは、西郷の目指した新しい日本の近代の姿が見えない、ともいえる。

大久保の方針は明確である。富国強兵路線である。これはいいとしても、では、西郷の目指した日本の近代とはどんなものであったのだろうか。これが、曖昧、あるいは、観念的にすぎる。民とともにある、ということは理解されるのだが、では、具体的な政策として何をどうするのか、そこが見えていない。

まあ、実際の歴史学の方面からしても、西郷がどのような近代国家を構想していたかは、いろいろ難しい問題のあるところだろうとは思う。

朝鮮との問題において、西郷の言っていたこと、現地の居留民の保護……これこそ、西郷のめざした近代国家の基本になるところなのだろうが、これも、ただエピソードとして出てきただけで終わってしまっていた感じである。

ドラマでは、軽くナレーションで過ごしてしまったところ(先週)であるが、地租改正などは、西郷のやった仕事になるだろう。これなど、近代国家の基本をつくった重要な政策であるはずだが、ここのところを掘り下げることはなかった。ここで、たとえば、(もう登場しなくなってしまったが)ふきなどの視点からみるとどうなのであろうか。あるいは、西郷が住んでいる長屋の住民たちにとって、御一新とは何であったのか、描こうと思えば、材料になるものは、みつかるはずである。

とはいえ、明治国家の枢要に位置することになる大久保と、鹿児島に帰ることになる西郷、この両名のドラマとしてみれば、それなりに面白かったといえる。ただ、これが、西郷と大久保の人間関係のドラマになってしまっていて、「歴史」が見えてこないのが、残念なところである。

下野後の西郷の行動については……最終的には、西南戦争にいたる……現代においても、なお、解釈の難しいところだろうとは思う。

次回以降、士族の反乱になるようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-11-27
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月27日
『西郷どん』あれこれ「士族たちの動乱」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/27/9003784