「藤田嗣治展」に行ってきた ― 2018-11-30
2018-11-30 當山日出夫(とうやまひでお)
京都に行ったついでに、ちょっと朝早く家を出て、岡崎によってきた。京都国立近代美術館での「藤田嗣治展」を見るためである。ウィークデーの朝のうちに行ったせいもあるのか、さほどの人ではなく、ゆっくりと見られた。
ちょうど今、プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる。岩波文庫版の一二巻は読み終えた。残りは、集英社文庫版で二巻である。このプルーストが『失われた時を求めて』で描いたのは、一九世紀末のパリになる。藤田嗣治が、パリで活躍した時代からすれば、すこし前の時代になる。とはいえ、ほとんど同時代のパリの空気を共有していたといってよいであろう。
見ていて、日本をはなれ、フランスにおもむき、自分の作品を確立していく過程について、納得がいく。そのなかで、特に印象的だったのは、太平洋戦争中の作品。戦争画を描いているのだが、とにかく、暗い。藤田といえばまず思い浮かべる乳白色の明るい画風ではない。
独特の色彩感覚がある。が、見ていくと、いわゆるキュビズムの影響かと感じるところも無いではない。また、その人物画や静物画を見ると、確かにものの形態をとらえている、藤田の目を感じる。
久々に近代絵画というものを堪能した時間であった。
ちょうど今、プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる。岩波文庫版の一二巻は読み終えた。残りは、集英社文庫版で二巻である。このプルーストが『失われた時を求めて』で描いたのは、一九世紀末のパリになる。藤田嗣治が、パリで活躍した時代からすれば、すこし前の時代になる。とはいえ、ほとんど同時代のパリの空気を共有していたといってよいであろう。
見ていて、日本をはなれ、フランスにおもむき、自分の作品を確立していく過程について、納得がいく。そのなかで、特に印象的だったのは、太平洋戦争中の作品。戦争画を描いているのだが、とにかく、暗い。藤田といえばまず思い浮かべる乳白色の明るい画風ではない。
独特の色彩感覚がある。が、見ていくと、いわゆるキュビズムの影響かと感じるところも無いではない。また、その人物画や静物画を見ると、確かにものの形態をとらえている、藤田の目を感じる。
久々に近代絵画というものを堪能した時間であった。
コメント
_ 小原正靖 ― 2018-11-30 07時48分02秒
東京竹橋国立近代美術館ブリヂストン美術館名古屋市美術館等で藤田の戦争もの見ています いろいろな作品がありますね レオナルド藤田は好きな画家の1人で多くの作品見ています
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