『カラマーゾフの兄弟』(5)光文社古典新訳文庫2019-01-14

2019-01-14 當山日出夫(とうやまひでお)

カラマーゾフの兄弟(5)

ドストエフスキー.『カラマーゾフの兄弟』(5)(光文社古典新訳文庫).光文社.2007
http://www.kotensinyaku.jp/books/book33.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年1月12日
『カラマーゾフの兄弟』(4)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/12/9024112

光文社文庫版では、本編の四部構成、プラス、エピローグを、全五巻に作ってある。この第五巻は、エピローグと、それから、解説(これが、かなり長い)からなる。

思うことを書いておけば、次の二点。

第一には、「光」。

私は、ドストエフスキーの作品……その長編、『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などを読んで、そのラストのシーンに、なにがしかの「光」を感じる。これは、描写として、その場の光線の状況が描写してあるという意味ではない。最後のシーンをイメージするとき、そこになにがしかの「光」を感じて読みとってしまうのである。

「光」といっても、あかあかと照らす光源ではない。薄明のなかに、どこかそこにだけスポットライトがあたってほんのりと浮かび上がってくるようなイメージ、とでもいえばいいだろうか。

『カラマーゾフの兄弟』のラストのシーン(エピローグ)に特に、光についての描写があるというのではない。しかし、最後のアリョーシャの姿を、もし映像化するとするならば、そこには「光」をあててみたい気がしてならない。

「光」というのがふさわしくないならば、視覚的イメージがくっきりと浮かび上がるとでも言っていいかもしれない。

第二には、この『カラマーゾフの兄弟』は、未完の作品であることの確認。

これは、この小説の冒頭を読めば、確かにそのように書いてある。二つの小説のうち、13年前におこったことを書いたものであることは、はっきりしている。そして、その後編にあたる作品は、ついに書かれずに終わっている。

だが、今日、『カラマーゾフの兄弟』を読むときは、これはこれとして完結した作品として読むことになる。少なくとも、事件と裁判については、決着を見ることになり、アリョーシャも新たな人生に向けてスタートをきる。

ここで完結した小説として読んでしまうのであるが、しかし、この作品は未完の作品であることも、重要なことである。もし続編が書かれたなら、どのような展開がありえたのか、その伏線になる部分がいくつもちりばめられている。

その後編をどのようなものとしてとらえるか、この光文社版の五巻の解説では、丁寧に言及してある。これを読んで、さらに、『カラマーゾフの兄弟』は、読み返してみたいと思う。

以上の二点が、光文社古典新訳文庫版の『カラマーゾフの兄弟』全五巻を読み終えて、私の感じるところである。やはり、私にとって、この作品は、世界の文学のなかでベストにはいる作品であると強く思う。神とは何か、人間とは何か、そして、ロシア的とは何か……この世に生きることへの根源的な問いかけが、この作品にはある

他に読みたい本、読まねばならない本もあるが、これは、折りをみて、さらに読書をつみかさねておきたい作品である。

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