「古典は本当に必要なのか」私見2019-01-18

2019-01-18 當山日出夫(とうやまひでお)

2019年1月14日に明星大学であった「古典は本当に必要なのか」というシンポジウムは、非常に興味深いものであった。YouTubeでリアルタイムで中継され、また保存されているので、今でも見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=_P6Yx5rp9IU

ここで私の思うところを書いておきたい。

結論だけ先に書けば、私は「古典」の教育は必要であると考えている。だが、そう考える理由は、一般に語られるものとは、いささか趣を異にするかもしれない。

シンポジウムのなかで、パネリストからは発言がなく、フロアからもこのことについては、ほとんど関連する質問が無かったことである。それは、言語の共同体としては「古典」は必須であるという観点である。

「言語の共同体」と書いた。これを、今回の問題について言い換えるならば、「日本語の世界」「日本語をつかう人びと」と言ってもいいだろう。このような言語(この場合は日本語)の共同体が、世界のなかで、これからも維持されていくためには、何が必要かという論点である。

「想像の共同体」と言う。この観点において、日本語をつかう人びとの共同体を考えてみることができる。「日本」と言ってもいいだろう。このとき、この共同体を基礎から支えるものとして、「古典」というものが必要になる。言い換えるならば、あるテクストを「古典」として共有する共同体、これが、国民国家をささえる民族と言ってよいであろうか。また、その共有されるべき何かを具現化したテクストが「古典」であるとも言える。

だが、このことは、「古典」が自明なものとして、アプリオリに存在することを意味しない。「古典」とは、近代の国民国家としての日本が形成されてくるなかから、創出されてきたものである、このような側面がある。

例えば、次のような本がある。

品田悦一.『万葉集の発明-国民国家と文化装置としての古典-』.新曜社.2001
https://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0746-3.htm?fbclid=IwAR2nVfTlPsdmQrIddTtf6IGdZ-24KrTdbtjRSkqdZfCldKBZUJ_h-TF05SM

大津雄一.『『平家物語』の再誕-創られた国民叙事詩-』(NHKブックス).NHK出版.2013
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912062013.html?fbclid=IwAR1MtPbXmPGeOOQnGc7sCfgLQjQImJA1hamf1wZFR3nMV25eQarvQIzI1yk

このようなことを理解したうえで、あえて問われるべきであろう。「日本」が「日本」としてこれから維持されていくためには、「日本」の「古典」が必要不可欠なのである、と。

そして、このことは、教育の実践においてこそ、維持し継承できるものでもあるのかもしれない。

ならば、教育において「古典」はどのようにあつかわれるべきであろうか。

さらに言うならば、これから日本の社会がグローバルという方向に進んでいくならば、多様な文化・社会の共存ということが不可欠になる。このとき、たとえば、他の国々……中国には中国の、韓国には韓国の、ベトナムにはベトナムの、また、イスラムの世界にそれぞれに固有の言語文化があり「古典」があるだろう。それを、相互に尊重することが必要になってくる。

このとき、自らの「古典」……それが、たとえ近代になってから創出されたものであるとしても……それを学んだことのない人間が、自分とは異なる言語文化をもつ人びとには、それぞれの「古典」があり、それは尊重されなければならないこと、このことが身につくだろうか。

少なくとも、世界のそれぞれの言語文化には、それぞれの「古典」があるということの意識・認識を、教育のなかでどのように教えることができるのか、このような論点が必要である。その一つとして、学校における「古典」の教育、また、大学などにおける「古典」の研究の意味を、考えるべきである。

言語文化、想像の共同体のコアにあるものとしての「古典」、あるいは、少なくとも「古典」に対するリスペクトの観念、そして、教育、このような観点から、「古典」の教育、また、研究ということを考えてみることもまた、あり得る観点だと思う。このような観点を導入したとき、教育における優先順位や科目としての位置づけの考え方も、また変わってくるかもしれない。

さらに書くならば、このような観点からこそ、逆に、もはや「古典」は不要であるという議論もできるにちがいない。

追記 2019-01-26
この続きは、
やまもも書斎記 2019年1月26日
「古典は本当に必要なのか」私見(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/26/9029000