『悪霊』(1)光文社古典新訳文庫2019-01-19

2019-01-19 當山日出夫(とうやまひでお)

悪霊(1)

ドストエフスキー.亀山郁夫(訳).『悪霊』(1)(光文社古典新訳文庫).2010
http://www.kotensinyaku.jp/books/book111.html

この作品を最初に読んだのは学生のころだったと覚えている。岩波文庫だったか、新潮文庫だったか、今では忘れてしまっている。とにかく、錯綜した人間関係……特にロシア語の人名は分かりづらい……のこともあって、とにかく読んではみたが、そう強い印象が残るということもなく、そのまま今にいたってしまった。

それから、何十年かたち……私も、もう還暦を超えた……再度、ドストエフスキーの作品を読んでみたくなって、手にした。光文社古典新訳文庫で、新しい訳が出ているということもある。読んだのは、『白痴』から読み始めて、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』と読んで、その次に読むことになった。

光文社古典新訳文庫版では、三巻。全部で2000ページ近い分量になる。長大な作品といっていいだろうが、今回は、これを、ほぼ一気に読みおえた。一日に、ほぼ一冊のペースで読むことができた。なんとか、年が変わって一月の学校の講義が始まるまでに、冬休みの時間をつかって読むことができた。

この小説の出だしは、いたっておだやかである。訳者(亀山郁夫)によれば、このいたっておだやかな出だしの中にこそ、この作品『悪霊』の本質にかかわる部分があるとのこと。そう思ってよんでいくと、なるほどという気がしてくる。

『悪霊』というと、スタヴローギンのことをえてして取り上げて論じがちである。これはこれとして、この作品の普通の読み方だと思う。だが、それだけではない。この『悪霊』が、男と女の物語であり、親と子の物語であり、家族の物語であり、という側面があることに、今回、再読してみて気付いたところである。これは、新しい翻訳でじっくりと読むからこそ感じるところかもしれない。そこに描き出されるのは、人間の精神のドラマである。

十九世紀のロシアの人間ドラマの世界を、そこに読みとってこそ、この小説を読んだということになるのかと思っている。

追記 2019-01-21
この続きは、
やまもも書斎記 2019年1月21日
『悪霊』(2)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/21/9027341

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