『いだてん』あれこれ「冒険世界」2019-01-22

2019-01-22 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』2019年1月20日、第3回「冒険世界」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/003/

前回は、
やまもも書斎記 2019年1月15日
『いだてん』あれこれ「坊っちゃん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/15/9025210

自転車で走る列車をおいかけるシーンは、どうしても「あまちゃん」(宮藤官九郎の脚本である)を思い出してしまうのだが、どうだろうか。

時代は明治の終わりである。「一等国」になった日本において、教育などの諸制度が整ってきたころになる。その時代の若者を描いた作品としては、『三四郎』(夏目漱石)がある。今回の放送でも、作中に夏目漱石の名前が出てきていた。

『三四郎』では、まさに四三と同じく、熊本(五高)を卒業した三四郎は、九州から東京に向かう列車に乗る。途中、名古屋で下りて一泊。そして、その後の列車の中で、広田先生(偉大なる暗闇)と出会うシーンになる。ここで、広田先生は、「日本はほろびるね」という意味のことを言って、三四郎がおどろく。

さて、『いだてん』であるが……四三には、三四郎のようにこれから東京に出て、天下国家を論じるという気概はないようだ。まあ、文科の三四郎にそのような気概はなかったかもしれないが、日本の首都である東京に出て、これから勉学にいそしもうという気持ちは強くもっている。しかし、四三は、まさに「赤ゲット」であって、青雲の志があるようには描かれていない。また、それを冷ややかにみる広田先生のような存在も出てこない。

このドラマで、もっとも時代の流れから超然としたところにいるのが、志ん生である。まだ、落語に興味をもったばかりの若者として登場してきている。このような志ん生の視点から四三を見ると……東京高等師範学校という、これからの日本国の教育を担う人材養成機関には興味は無いようである。また、スポーツにも、これといった関心もしめすようでもない。

このような視点を設定することによって、「坂の上の雲」のような国家に枢要の人間たるべきという悲壮感のようなものが、中和されてしまうことになる。

これはこれで、今後の展開を考えると必要な路線と感じる。ストックホルム大会に日本がはじめてオリンピックに出場することを描いた後にでてくるのは、ベルリンの「民族の祭典」、それから「前畑、がんばれ」のアナウンス。そして、幻におわった1940(昭和15)年の、東京オリンピックになるはずである。

このあたりのところをどう描くか……過度にナショナリズムにうったえるのではなく、個々の選手として、人間として、どうオリンピックにかかわることになったのか、だが、どうしようもなく覆い被さってくるであろう「国家」というもの、ここを軽やかに描ききるには、明治の今の時点において、軽快なスピード感で描写していくことになるのだろうと思っている。

ところで、『三四郎』(漱石)と、このドラマはほぼ同時代。明治の終わりごろ。この当時、大学は、秋から新学期がスタートしていた。では、高等師範学校はどうだったのだろうか。ドラマを見ていると、春に新学期がはじまって上京して、夏休みに故郷の熊本に帰ってくるように読み取れたのであるが、このあたりはどうなのだろうか、ちょっと気になった。

追記 2019-01-29
この続きは、
やまもも書斎記 2019年1月29日
『いだてん』あれこれ「小便小僧」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/29/9030061

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