『源氏物語』(二)新潮日本古典集成2019-02-21

2019-02-21 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(二)

石田穣二・清水好子(校注).『源氏物語』(二)新潮日本古典集成(新装版).新潮社.新潮社.2014
https://www.shinchosha.co.jp/book/620819/

続きである。
やまもも書斎記
『源氏物語』(一)新潮日本古典集成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/18/9037548

この第二巻(新潮日本古典集成)で、「須磨」「明石」の巻までをおさめる。ここで止まってしまっては、「須磨源氏」になってしまう。

ここまで、最初の「桐壺」から、とにかく順番に読んできた。もう今になって『源氏物語』を材料にして論文を書こうという気もない。ただ、楽しみの読書として読んできている。そして、この『源氏物語』は、楽しみの読書に十分にこたえるものであることを確認した次第でもある。

読みながら、いくぶん難渋するところが無いではない。特に歌の贈答のあたり、細かな解釈、引き歌など考証を理解しながら読むべきところなのだが……今回は、ひととおり意味が通じればいいという感じで、読み流すことにした。(このような読み方もあっていいだろう。精読というのではなく、通読である。)

そして、感じることは、やはりこの作品は、読まれてきた歴史があるということである。新潮日本古典集成の頭注を見る限りでも、折りにふれて古注に言及してある。『源氏物語』は、その成立の時代……紫式部の同時代……から、読まれ続けてきた歴史がある。例えば『更級日記』の事例など。

その後、定家の校訂などを経て、いくつかの古注がなされてきている。江戸時代になって、『湖月抄』などがあり、それは、本居宣長にひきつがれていく。その源氏論『紫文要領』などをふまえて、近代の「国文学」という学問が成立し、今にいたる。

ざっと以上のような歴史の流れのなかに、現代の注釈書もある。

読まれてきた歴史の積み重ねがなければ、どうしてこの文言がこのように解釈できるのか、というところがいくつかある。

また、ひたすらストーリーを追うようにして読んでみてであるが、この物語が、読んで面白いものであることを感じた……まあ、月並みな感想になるが、文学としての『源氏物語』を感じて読むことができた、と言ってよいであろうか。

とはいえ、和歌のやりとりや、引き歌など、当時の文学史的背景についての理解が必要なことはいうまでもない。しかし、そこのところを校注本によって軽く読み流すとしても、この物語は、面白い。

次は、第三巻である。「須磨源氏」で終わらないように、引き続いて読むことにしよう。

追記 2019-02-22
この続きは、
やまもも書斎記 2019年2月22日
『源氏物語』(三)新潮日本古典集成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/22/9039182