『源氏物語』(六)新潮日本古典集成2019-02-28

2019-02-28 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物型(六)

石田穣二・清水好子(校注).『源氏物語』(六)新潮日本古典集成(新装版).新潮社.新潮社.2014
https://www.shinchosha.co.jp/book/620823/

続きである。
やまもも書斎記 2019年2月25日
『源氏物語』(五)新潮日本古典集成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/25/9040411

新潮版の第六巻で、『源氏物語』の本編は終わる。紫の上の死、それから、光源氏の没後のありさまが語られる。

ここまで読んで来たなかで、特に、紫の上の死の描写が印象深い。私が、これまで読んだ文学作品において、人の死の描写で、印象に残っているのは、ドストエフスキーの『白痴』のラストのシーンがある。それとはまったく印象はことなるが、この『源氏物語』における紫の上の死をめぐる描写は、心に残るものがある。

それから、紫の上の死後のこととして、「匂兵部卿」「紅梅」「竹河」とあるのだが……光源氏の死そのこと自体は、この『源氏物語』では出てこない……やはり、「紫上」系の物語と、「玉鬘」系の物語は、別系統の物語として進行していると思わざるをえない。

そして、「橋姫」「椎本」とつづく。いわゆる「宇治十帖」の巻に入ることになる。読み始めての印象は……若い時にも読んでいるところであるが……ここにいたって、物語が別のステージ移行したという印象を持つ。

これは、本編を読んだときにも感じたことなのであるが、特に、「紫上」系の巻になると、心中思惟の描写が屈折している。その屈折した心中思惟の描写を、「宇治十帖」も引き継いでいると感じる。この意味では、同じ物語の延長線上にある作品として読むことになる。いや、さらにいっそう、心中思惟の描写は屈折しているようにも思える。

また、本編でよく見られたような、季節の風物の描写で場面転換になるということも、少なくなっている。

といって、「宇治十帖」について、別作者説をいまさら言おうなどという気は、さらさらない。いや、仮に別作者であるとしても、本編を十分にひきつぐ形で、「宇治十帖」を書いている。また、『源氏物語』は、古来より「宇治十帖」をふくめて、一括して『源氏物語』として受容されてきたということもある。すくなくとも、『更級日記』を書いた菅原孝標女においては、ひとまとまりの物語として読まれるようになっていたことが知られる。

ともあれ、『源氏物語』は、新潮版で後二巻である。楽しみに読むことにしよう。

追記 2019-03-01
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月1日
『源氏物語』(七)新潮日本古典集成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/01/9042032

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/28/9041643/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。