『平家物語』(一)岩波文庫2019-03-04

2019-03-04 當山日出夫(とうやまひでお)

平家物語(一)

梶原正昭・山下宏明(校注).『平家物語』(一)(岩波文庫).岩波書店.1999
https://www.iwanami.co.jp/book/b245703.html

『平家物語』も若いときに、読んだ作品である。これを資料として論文を書いたこともある。が、その後、遠ざかってしまっていた。『源氏物語』を読んだ次に、『平家物語』を最初から順番にページを繰っていきたくなって読んでいる。

昔は、古い岩波の古典文学大系で読んだものである。これは、新しい新日本古典文学大系にもはいっている。岩波文庫版は、これをもとに、表記等を整理したものである。新日本古典文学大系も持っているのだが、気楽に通読するには、文庫版でいいだろうと思って……というよりも、もはや底本の表記とかにいちいち気をとめることなく、割り切って読んでいきたいという気になって、文庫版の方で読んでいる。

文庫版で四巻につくってある。かなり詳細に注がついているのだが、とりあえずストーリーを追っていくには、本文だけ読んでいけばなんとかなる。(無論、国語学的に子細に見れば、この注についても、いろいろと考えるべきところはあるのだが、今回は、そのようなことはあまり考えないことにした。)

読み始めてであるが……古文といっても『平家物語』ぐらいならそう難しいことばも出てこない。固有名詞、引用の出典などは、注に書いてあるのだが、いちいち確認するのはわずらわしいので、ひたすら本文のことばをたどっていく。そこに感じるのは、ある種のことばのリズムである。

『平家物語』が、いわゆる琵琶法師によって語られたということは周知のことであろう。だが、現存するテキストが、語りのテキストそのままであるかどうかは、疑問のあるところのようだ。読み本系といわれるテキストとの交渉など、『平家物語』の成立論をめぐっては、いろいろと議論のあるところらしい(第一巻の解説による)。

そのような知識を前提として読むとしても、この『平家物語』の文章は、読んでいて、心地の良さを感じる。ここには、やはり語られたテキストというものがあってのことであろうか。あるいは、「読む」テキストであったとしても、そこには、耳にして感じるところのなにがしかの言語感覚というものがあったにちがいない。

また、『平家物語』は、歴史の結果がわかってから書かれたテキストであることも重要かもしれない。平家が栄華をきわめて、没落していく、その結果を知っているものの視点から描かれている。

これを現代の歴史観でいうならば、「歴史の必然」とでも言ってしまうところなのかもしれないが、しかし、『平家物語』の作者は、そのような捉え方はしてないようだ。強いていうならば、「運命」……これも、ある意味では現代的な感覚のことばかもしれないが……である。

この意味において、特に印象深く描かれていると感じるのは、重盛である。父・清盛をいさめることになるのだが、結局、そのこともむなしくなってしまう。これも、歴史の結果を知っている人間の視点から懐古して描写にはちがいないが、とどめようもない歴史の流れの中にあって、なんとかそれに抵抗しようとしたかのごとくに描き出されている。

いや歴史の結果を知っているからこそ、そのような重盛の言動こそが際だってくると言った方がいいのかもしれない。

ともあれ、老後の楽しみとしての読書である。次の第二巻を読むことにしたい。

追記 2019-03-07
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月7日
『平家物語』(二)岩波文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/07/9044222