『おしん』あれこれ2019-04-08

2019-04-08 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKのBSで朝ドラ再放送で、『おしん』を放送している。第一週が終わったところである。見ていて思ったことなど書いてみたい。

私は、『おしん』の放送の時は見ていない。たしか、そのころの私は、テレビも持っていなかったのでなかろうか。だが、この朝ドラが、世の中の話題になっていることは知っていた。

10年ほど前になるだろうか、一週間ごとにまとめて再放送したことがあった。これは、録画しておいて、ほぼ毎回を見ていた。私が、『おしん』の全話を見たのは、これが最初ということになる。

今回の再放送であるが、とりあえず、第一週を見て思うことは……かつて日本にはこのような時代があったのだという、ある種の感慨のようなものである。その時代とは、まさに幼い時のおしんのような境遇であり、また、年取ってからのスーパーの経営者としての生き方でもある。それは、今ではもう過去のことになった高度経済成長期の日本である。

再放送を見て感じたことであるが、このドラマは、現代(放送時)からスタートしている。年取ったおしん(乙羽信子)が、家を出るところからはじまる。ここで、視聴者は、おしんとともに、その過去をさかのぼることになる。

その過去は極貧の小作農の生活である。しかし、いずれ、おしんはこの境遇から脱却して、会社の経営にもたずさわり、家族にもめぐまれている、その現在の様子が描写されている。だから、貧乏な境遇にあるおしんの姿を見ても、どこかで安心して、その行く末を見ることができる。(しかし、その人生は安穏なものではないことを、知ってはいるのだが。)

『おしん』ほど、世界に名の知られた日本のドラマはないであろう。最近では、アニメなどが海外で話題のようだが、それ以前は、おそらく、日本のテレビドラマとしては、まず『おしん』が知られていたはずである。

たしかに、『おしん』は、「近代」の日本のある姿を描いていると思う。そのような生活があり、暮らしがあり、社会の制度があり……だが、そのようななかから、高度経済成長の時代を迎えて、現代日本の繁栄とでもいうべきものがある。

やはり、『おしん』は、日本の国民的ドラマとして、これからも残っていくにちがいないと思う。いや、そうでなければならないとも思う。かつての日本の人びとの暮らしに、このドラマのようなことがあったということは、忘れられてはならない。

追記 2019-04-22
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月22日
『おしん』あれこれ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/22/9062890