『おしん』あれこれ(その二)2019-04-22

2019-04-22 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2019年4月8日
『おしん』あれこれ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/08/9056995

NHKの朝ドラ再放送(BS)で『おしん』を見ている。そんなに熱心に見ているということもないのであるが、何年か前の再放送の時のことを思い出しながら見ている。

第3週は、俊作(中村雅俊)が登場していた。たしか、この週のみの登場で終わってしまっているかと記憶している。

この『おしん』というドラマ、別に、この俊作の週がなくても、十分にドラマとして成立するとは思うのだが、脚本(橋田壽賀子)がここに俊作の週を持ってきた意図はどこにあるのだろうか。

第一には、幼いおしんにとって、心安らぐひとときの時間としてであろう。過酷な労働の材木問屋から逃げたおしんにとって、すぐに家に帰るのではなく、山の中での一冬、隠れ里のようなところで、人の人情にふれて過ごすことは、心が安心する時間でもあった。

第二には、やはり俊作の反戦思想であろう。『おしん』というドラマでは、この後、戦争のことが出てくる。それは、おしんにとって人生のつらい時期でもあり、その結果は、おしんの生涯にとって不幸な出来事をもたらすことになる。このような将来の戦争への描き方の伏線として、俊作の反戦思想は、意味のあるものになっていると感じる。

与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』を読む幼いおしん(小林綾子)。この時は、まだ、その後に戦争(太平洋戦争)が起こることなど、まったく予期していない。そして、それに重なるように、年老いたおしん(乙羽信子)が、同じ詩を暗唱する。その時のおしんには、かつての自分の生涯で、戦争というものがあったこと、そして、その戦争に対する考え方を教えてくれた俊作のことが思い起こされていたのであろう。

以上の二点が、この俊作の登場する冬の山小屋の週で思うことなどである。

『おしん』には、印象的ないくつかのシーンがある。その中でも、俊作が、「おしん」という名前の意味について、おしんに語って聞かせるシーンは、ことさら印象に残る場面である。「おしん」という名前をもった一人の人間の生き方、そのすべてを凝縮したような感じがする。

追記 2019-05-17
この続きは、
やまもも書斎記 2019年5月17日
『おしん』あれこれ(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/17/9073429