『いだてん』あれこれ「櫻の園」2019-06-04

2019-06-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年6月2日、第21回「櫻の園」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/021/

前回は、
やまもも書斎記 2019年5月28日
『いだてん』あれこれ「恋の片道切符」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/28/9077891

今回、描いていたのは、女子スポーツの黎明。

しかし、気になっているのは、女学校の教師になった四三であるが、熊本方言のままである。このドラマは、明治の終わりからスタートしている。そのころ、高等師範学校の学生であった四三が登場している。四三は、東京に出てきて一〇年以上たっているはずである。にもかかわらず、熊本方言である。

これが、故郷の妻であるスヤと話す場面なら自然である。しかし、学校の教室で、しかも、女学校で、熊本方言のままで授業をするということはありえない設定である。時代は、大正時代も終わりのころになっている。いわゆる標準的な日本語というのが、形成されていたころと考えられる。

だが、このドラマは、四三の熊本方言をそのままつかわせている。

それは、熊本方言のままで、しかも、大真面目に、スポーツを語ることによって、このドラマが、ナショナリズムのドラマになることを避けていると理解される。少なくとも私には、そのように思えてならない。

方言といえば、浜松の田畑政治も、浜松方言である。これが、今後、一九六四年の東京オリンピックのときまで、浜松方言のままでいくのか、ここは興味がある。これまで登場してきたシーン……一九六四年の東京オリンピック招致にかんする場面であるが……においては、浜松方言は使っていなかったように覚えている。とすると、これから、どの段階で、田畑政治は、浜松方言を話さなくなるようになるのだろうか。

また、四三は、アントワープの大会の後、ドイツをおとずれている。そこで、スポーツに興ずる女性たちを目にする。熊本方言なまりの英語で、なんとかコミュニケーションできていたようである。このドイツで、その後、「民族の祭典」が開催ということになる。その伏線として、この回の描写がどう生きてくることになるのだろうか。

ところで、志ん生である。四三と、浜松の田畑が、今のところ、志ん生の視点においては、つながっている。この志ん生の物語も、この回ぐらいから、面白いと感じるようになってきた。志ん生の部分で、小梅(橋本愛)が、いい感じである。

次週、いよいよ、人見絹枝の登場となるらしい。楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-06-11
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月11日
『いだてん』あれこれ「ヴィーナスの誕生」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/11/9084788