『TVピープル』村上春樹2019-06-10

2019-06-10 當山日出夫(とうやまひでお)

TVピープル

村上春樹。『TVピープル』(文春文庫).文藝春秋.1993 (文藝春秋.1990)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167502027

続きである。
やまもも書斎記
『パン屋再襲撃』村上春樹 2019年6月6日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/07/9082153

村上春樹の短編集を読んできて、この作品ぐらいから、ちょっと雰囲気が変わってきていると感じる。

二点ほどに整理してみる。

第一には、短篇という文学の形式で何を語るか、その物語の構造がちがってきている。簡単に言ってみるならば、いわゆる「オチ」のある話しになってきている。初期の村上春樹の作品(短篇)を読んで感じることは、ストーリーの面白さよりも、その作品を語ることによって感じる、なにかしら詩情のようなものであった。それが、ストーリー自体の面白さで読ませるように雰囲気が変わってきている。

第二には、時代、ということがある。この『TVピープル』に収録されている「我らの時代のフォークロア――高度資本主義前史」。この作品は、ある時代……いわゆる七〇年安保の時代の学生生活にまつわる感覚を描いている。といって、政治的なことはまったく出てこない。しかし、あの時代、多くの若者が共感していた何かを、この作品は描こうとしている。

以上の二点が、『TVピープル』を読んで感じるところである。

この作品が、本として出たのは、1990年。収録の作品が書かれたのは、1989年のころになる。ちょうど、東西冷戦の終わったころになる。

私は、村上春樹より少し若い(1955年の生まれ)。その年齢から感じるところとして、やはり、1989年のベルリンの壁の崩壊は、強く印象に残っている。世界は、このようにして変わってしまうものなのか、感慨深く思ったものである。

また、このころは、「昭和」という時代の終わりでもあった。

一つの時代の節目であった、今になってみれば回想される。この時代の変わり目ということが、村上春樹の文学にどのように影響しているのか、現代文学研究の門外漢の私はよく知るところではない。だが、一つの時代の変わり目において、村上春樹の文学もまたどこかしら変化していっていることだけは、確かなことであるように思える。

次は、『レキシントンの幽霊』を読むことにする。

追記 2019-06-13
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月13日
『レキシントンの幽霊』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/13/9085919