『レキシントンの幽霊』村上春樹2019-06-13

2019-06-13 當山日出夫(とうやまひでお)

レキシントンの幽霊

村上春樹.『レキシントンの幽霊』(文春文庫).文藝春秋.1999 (文藝春秋.1996)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167502034

続きである。
やまもも書斎記 2019年6月10日
『TVピープル』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/10/9083904

この短編集は、1999年に出ている。あとがきによれば、『七番目の男』『レキシントンの幽霊』は、『ねじまき鳥クロニクル』のあとで書かれた。それ以外の作品、『綠色の獣』『沈黙』『氷男』『トニー滝谷』、これらの作品は、『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後で書かれた。

そして、『めくらやなぎと、眠る女』は、『めくらやなぎと眠る女』の改稿版である(短縮版)。また、その他の作品も、単行本収録にあたって手をいれてある旨がしるしてある。

村上春樹の作品論、作家論を考えようとするならば、これらのテキストを、逐一読み比べて、その異同について考える必要がある。

だが、現代文学を専門とするわけではなく、ただ楽しみとして村上春樹の作品を読んでいこうと思っている立場としては、そのようなことは理解したうえで、この作品集を読むことになる。

ここまで、村上春樹の作品を読んできて、ここにいたって、寓意とでもいうべきものを感じるようになった。作品にただよう詩情……散文詩とでもいえるような……でもなく、最後になにかしらオチのあるような話しでもなく、物語全体として、何かを表していると感じる。一般的にいってしまうならば、寓意のある物語として理解されるということになる。

たぶん、村上春樹の文学を考えるうえで、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』あたりが、重要な転換点になっているであろうことは、これまで、長編を読んできて感じるところである。初期の作品にあった散文詩的な叙情性から、寓意のある物語への変化とでもいえるだろうか。私には、そのように理解される。

では、村上春樹は、その寓意によって、何を表現しようとしているのか……短篇の方が、長編よりも、難解な感じがしてならない。読んで決して難しいという感じる作品ではないのだが、しかし、では、何を語りかける作品なのか、ことばにしようとすると、どうにもならない。とはいえ、そこには、村上春樹ならではの文学の魅力がある。

ところで、『めくらやなぎと、眠る女』であるが、単行本(また、その文庫本)において、新旧二つのテキストを、同時に刊行してある、これは、珍しい事例になるだろう。文学研究の分野において、このようなテキストをどうあつかうか、考えるか、これはこれで興味がある。

次は、『神の子どもたちはみな踊る』である。

追記 2019-06-14
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月14日
『神の子どもたちはみな踊る』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/14/9086543