『神の子どもたちはみな踊る』村上春樹2019-06-14

2019-06-14 當山日出夫(とうやまひでお)

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹.『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫).新潮社.2002 (新潮社.2000)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100150/

続きである。
やまもも書斎記
『レキシントンの幽霊』村上春樹 2019年6月13日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/13/9085919

文学的想像力……この世界におこったできごとを「文学」として把握する洞察力とでもいえるだろうか、この作品には、何よりもこのことを強く感じる。

収録作品の初出は、1999年。連作『地震のあとで』その一~その六、として発表されたもの。「地震」は、1955年の、神戸の地震である。

この地震のあった時のことは、私は、まだかなり鮮明に記憶している。一月一七日、朝、地震で目が覚めた。幸いなことに、我が家においては被害はなかった。その日から、数日は、テレビを見て過ごしていた。

この震災について、いくつもの文学作品やノンフィクションがあるだろう。その中で、小説、文学として、この震災を描いた作品として、この『神のこどもたちはみな踊る』は、傑出していると思う。

だが、直接、震災の描写があるというのではない。どの作品にも、どこかで、ふと言及されるだけなのだが、どの作品においても、その震災があったことが、ストーリーの展開のうえでキーになるように書かれている。

震災のとき、この世に生きる人びとに何がおこったのか……それを、文学的に表現するとなると、このような表現の仕方もあるのか、そう感じさせる。これは、震災文学といってもいいだろう。(このように規定されることを、作者は、否定するかもしれないが。)

収録されている作品のなかで、一番印象にのこるのは、『かえるくん、東京を救う』である。なんとも奇妙な物語なのだが、読み始めて、その物語世界の中に入ってしまう自分に気付く。そして、読後、この作品が、震災を描いた作品に他ならないことを、あらためて感じる。

ともあれ、文学的想像力というものが、震災のようなできごとをどう描くことができるか、この点において、きわめてすぐれた文学的達成をはたしている。おそらく、村上春樹の長編では描くことのなかった世界がここにはある。

次は、『東京綺譚集』である。

追記 2019-06-15
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月15日
『東京綺譚集』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/15/9087095