『いだてん』あれこれ「大地」 ― 2019-06-18
2019-06-18 當山日出夫(とうやまひでお)
『いだてん』2019年6月16日、第23回「大地」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/023/
前回は、
やまもも書斎記 2019年6月11日
『いだてん』あれこれ「ヴィーナスの誕生」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/11/9084788
この回で描いていたのは、関東大震災。
脚本の宮藤官九郎は、以前、NHK朝ドラの『あまちゃん』(2013年)で、東日本大震災の被災を描いている。その宮藤官九郎とNHKが、関東大震災をどのように描くのか、ここのところが見どころであった。
『あまちゃん』では、ジオラマでもって、間接的な表現にとどめていた、被害(主に津波による)を表現してた。関東大震災は、地震と、それからその後におこった火災が、多大な被害をもたらすことになった(これは、歴史的に知られたことだろう)。この関東大震災を、『いだてん』では、かなりリアルな描写で描いていた。
四三も、また、志ん生(孝蔵)も、地震の被害にあう。だが、その震災への視線の向け方が、微妙にちがっている。四三の方では、被害にあった人びとの安否を気遣う心を描いていた。しかし、志ん生(孝蔵)の方は、どこか冷めた目で震災の様子を見ていたように思える。所詮、この世の無常とはこのようなものかと、達観したようなところを感じさせた。そして、酒に酔っている。刹那的であり、虚無的でもある。
四三の視点において微視的に、一方で、志ん生(孝蔵)の視点において巨視的に、震災を見ることによって、その災害と人びとの心のあり方をダイナミックに表現することに成功していたと言っていいのではないだろうか。
複数の視点を導入することで、関東大震災を、リアルに、かつ、俯瞰的に描いていたと言うことができるだろう。
ところで、見ていてちょっと気になったこと。震災の後、様々な流言飛語がとびかって、自警団が組織されるに到ったことは、歴史的な知識であろう。ここまではいいとしても、その描写のなかで「朝鮮人」ということばをドラマではつかっていなかった。ここのところは、かなり配慮した表現になっていると感じた。
それから、このところにきて、五りん(晩年の志ん生の弟子)の生いたちが、持っていた写真によって語られていた。「フィクション」としての『いだてん』というドラマにおいて可能になったポイントであろう。
次回は、震災のその後を描くことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。
『いだてん』2019年6月16日、第23回「大地」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/023/
前回は、
やまもも書斎記 2019年6月11日
『いだてん』あれこれ「ヴィーナスの誕生」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/11/9084788
この回で描いていたのは、関東大震災。
脚本の宮藤官九郎は、以前、NHK朝ドラの『あまちゃん』(2013年)で、東日本大震災の被災を描いている。その宮藤官九郎とNHKが、関東大震災をどのように描くのか、ここのところが見どころであった。
『あまちゃん』では、ジオラマでもって、間接的な表現にとどめていた、被害(主に津波による)を表現してた。関東大震災は、地震と、それからその後におこった火災が、多大な被害をもたらすことになった(これは、歴史的に知られたことだろう)。この関東大震災を、『いだてん』では、かなりリアルな描写で描いていた。
四三も、また、志ん生(孝蔵)も、地震の被害にあう。だが、その震災への視線の向け方が、微妙にちがっている。四三の方では、被害にあった人びとの安否を気遣う心を描いていた。しかし、志ん生(孝蔵)の方は、どこか冷めた目で震災の様子を見ていたように思える。所詮、この世の無常とはこのようなものかと、達観したようなところを感じさせた。そして、酒に酔っている。刹那的であり、虚無的でもある。
四三の視点において微視的に、一方で、志ん生(孝蔵)の視点において巨視的に、震災を見ることによって、その災害と人びとの心のあり方をダイナミックに表現することに成功していたと言っていいのではないだろうか。
複数の視点を導入することで、関東大震災を、リアルに、かつ、俯瞰的に描いていたと言うことができるだろう。
ところで、見ていてちょっと気になったこと。震災の後、様々な流言飛語がとびかって、自警団が組織されるに到ったことは、歴史的な知識であろう。ここまではいいとしても、その描写のなかで「朝鮮人」ということばをドラマではつかっていなかった。ここのところは、かなり配慮した表現になっていると感じた。
それから、このところにきて、五りん(晩年の志ん生の弟子)の生いたちが、持っていた写真によって語られていた。「フィクション」としての『いだてん』というドラマにおいて可能になったポイントであろう。
次回は、震災のその後を描くことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。
追記 2019-06-25
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月25日
『いだてん』あれこれ「種まく人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/25/9091499
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月25日
『いだてん』あれこれ「種まく人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/25/9091499
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