『村上春樹は、むずかしい』加藤典洋2019-06-29

2019-06-29 當山日出夫(とうやまひでお)

村上春樹は、むずかしい

加藤典洋.『村上春樹は、むずかしい』(岩波新書).岩波書店.2015
https://www.iwanami.co.jp/book/b226362.html

つづきである。
やまもも書斎記 2019年6月28日
『もういちど村上春樹にご用心』内田樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/28/9092631

村上春樹の小説(長編、短篇)を読んだので、村上春樹について書かれた本をと思って、読んでみた。

私は、現代文学の動向にはうとい。だから、村上春樹がノーベル文学賞の候補にあがっている程度の知識はもっていても、具体的に、どの程度までのベストセラー作家であるか、というようなことについては、とんと無頓着のままにきている。そして、この本を読んで知ったこと、村上春樹は、世界的に読まれているが、しかし、東アジアにおいて特にインテリ層においては、うけがよろしくないらしい。これはこれとして興味深い。

まあ、私は、たまたま村上春樹に手を出さなかっただけで、まったく興味が無いということでは無い。そして、読んで見て、否定的に評価しようとは思わない。

いや、村上春樹はわかりやすいのである。だからこそ、世界的なベストセラー作家になっている。

どうも、評論家というのは……本書の場合、加藤典洋を評論家といっていいだろう……素直にものを考えることを拒否しているかのごとくである。素直に村上春樹を読めば、「面白い」ということがわかるだろう。ならば、その「面白さ」のよってきたるところを分析すればいいのだと思う。

私の見るところ……村上春樹は、詩人である。特に、初期の作品が、散文詩とでもいうべき詩情にあふれていることが重要である。そのうえで、1970年代以降の、ある種の政治的空白の時期を経て、ベルリンの壁の崩壊があった。この世の中を解釈する大きな「物語」が失われてしまった。それをうけて、では、この世界がこのように私たちの感じるものとしてあるのは、どうしてなのか、現実の世界をポジとして、いったんネガに反転させて、さらに、もう一回ポジにしてみる、それを、類い希なる文学的想像力、創造力でなしとげている。反転した世界はゆがんでいる。だが、そのゆがみのなかにこそ、この世界の基盤の再構築につながる回路がある……まあ、私は、ざっとこのように考えて見たのであるが、どうであろうか。

ところで、この本、『村上春樹は、むずかしい』であるが、読みどころとしては、村上春樹を、日本の近代文学の伝統的、正統的な流れのなかに位置づけようとしているところだろう。

2015年の刊行になる本なので、あつかわれている作品は、『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『女のいない男たち』ぐらいで終わっている。つまり、最新の『騎士団長殺し』にはふれられていない。(そして、著者は、鬼籍にはいってしまっている。)

この本で語られたことの延長で理解するならば、『騎士団長殺し』は、「鎮魂」の物語として読まれるべきことになるだろう。

追記 2019-07-01
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月1日
『村上春樹を読みつくす』小山鉄郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/01/9110038

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