『リトル・シスター』村上春樹訳2019-07-24

2019-07-24 當山日出夫(とうやまひでお)

リトル・シスター

レイモンド・チャンドラー.村上春樹(訳).『リトル・シスター』(ハヤカワ・ミステリ文庫).早川書房.2012 (早川書房.2010)
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/40713.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年7月20日
『大いなる眠り』村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/20/9130968

レイモンド・チャンドラーの村上春樹訳を読んでいる。四冊目になる。

読みながら思うことは、言い古されたことになるのだろうが、ハードボイルドという小説の形式が、世界の文学に与えた影響の大きさである。文学の歴史としては、近代小説というものの成立において、「神の視点」を手にいれたことになる。そのうえで、あえて「私」という視点に限定して、物語を語ることは、非常な制約になっている。だが、それをあえてしてまで、「私」にこだわるのは、どうしてなのだろう。

だが、そのように思ってみても、今日の文学、二十一世紀の文学において、ハードボイルドという形式を経験していることの意味は、大きなものがあると感じざるをえない。

また、ミステリという形式にこだわるのも、意味のあることかもしれない。二十世紀の文学、二十一世紀の文学を考えるとき、ミステリという形式、スタイル……これにならって書くにせよ、そうでないにせよ……ミステリというものが、文学の一つのジャンルとして存在することを抜きにしては、存在しないように思う。

しかし、このようなことよりも、『リトル・シスター』である。読んで見て、はっきりいって、よく分からなかった、というのが正直なところ。小説としての完結性、整合性という観点からら、すぐに理解できないところが、はっきりいってあった。(このあたりことについては、村上春樹のあとがきでも言及がある。)

にもかかわわらず、この作品をいっきに読んでしまったのは、やはりなんといっても、フィリップ・マーロウという人物の魅力である。それから、この作品について私が感じたことは、ハリウッドという街を描いていることである。その街と、そこに住む、はたらく、ひとびとを魅力的に活写している。(このあたり、チャンドラーの来歴として、ハリウッドで仕事をしていたということがあってのことにはちがいない。)

また、この作品において、依頼人の女性が魅力的である。このことについては、村上春樹のあとがきでも触れられている。

ともあれ、残り三冊になった。順番に読んでいくことにする。次は、『高い窓』である。

追記 2019-07-27
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月27日
『高い窓』村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/27/9133808

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