『美しい村』堀辰雄2019-07-26

2019-07-26 當山日出夫(とうやまひでお)

美しい村

堀辰雄.『美しい村』(新潮文庫「風立ちぬ・美しい村」).新潮社.1951(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100402/

続きである。
やまもも書斎記 2019年7月22日
『風立ちぬ』堀辰雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/22/9131853

堀辰雄をまとめて読んでみたくなったので、順番に手にしてみた。堀辰雄を読んでみたくなったのは、半藤一利・宮崎駿の『腰ぬけ愛国談義』を読んだことによる。

やまもも書斎記 2019年7月15日
『腰ぬけ愛国談義』半藤一利・宮崎駿
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/15/9128716

ここで、神西清のことばが引用されていた。それを確認しておくと、

「詩を散文で書ける人というのは日本に何人もいないんだよ。そのなかでいちばん優秀なのが堀辰雄だ」(p.153)

これを読んだからそう思うのかもしれないが、まさに、『美しい村』は、〈詩〉である。だが、〈詩〉といっても、「散文詩」とはことなる。普通の散文なのである。だが、それを読んでいくと、どことなく感じる詩情がある。描かれているのは、信州のある村の景色や風物なのであるが、それを見て書いている作者の目は詩人である。

私が最近読んだもので読みながら詩情を感じる作品としては、(特に)初期の村上春樹がある。村上春樹もまた、散文によって詩を書ける希有な文学者だと思う。

文学の原点は〈詩〉である。この意味において、堀辰雄の作品は、まだコンテンポラリーに読まれるべきものとしてある。いいかえれば、常にそこに立ちかえってみることで、文学の原点を確認できるという意味において古典であるともいえる。古典はつねに新しい。新しい時代においても、新しい感覚で読むことのできる普遍性をそなえている。そのような古典として堀辰雄の作品は、まだ読まれ続けていくべき価値がある。

追記 2019-08-03
この続きは、
やまもも書斎記 2019年8月3日
「大和路」堀辰雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/03/9136738

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