『いだてん』あれこれ「夢のカリフォルニア」2019-08-06

2019-08-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第29回「夢のカリフォルニア」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/029/

前回は、
やまもも書斎記 2019年7月30日
『いだてん』あれこれ「走れ大地を」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/30/9135073

この回で描いていたのは、田畑政治の金メダルにかける執念というべきものだった。

何がなんでもメダルの獲得数、これこそが勝負である、と田畑は言っている。このメダル至上主義は、現代のオリンピックにおいても、まさに批判の対象となるものである。マスコミもそうである。メダルの取れそうな競技・選手を重点的にあつかう。金メダルをとった選手は英雄である。

そのような今日の風潮をも、あざわらうかのごとき、田畑の金メダルへの執念が印象的に描かれていた。そして、その理由も語られていた。今、日本の社会は暗い。そこに少しだけでも人びとの心を明るくするニュースが欲しい。それは、オリンピックの金メダルである、と。

これはこれとして理解できなくはない。

だが、ここは、余計な説明などなしに、金メダルの亡者とでもいうべき田畑を描くことで十分であったのではないだろうか。その理由は、オリンピックが済んでから、回想で語ればいいことであったことのように思われる。

それから、描いていたのは、ロサンゼルスに行った選手たちの心。田畑の金メダル至上主義についていけない、理解できない選手たち。その心のうちの葛藤、煩悶とでもいうべきものが、印象に残っている。いや、今回の展開としては、田畑の活躍よりも、選手たちのこころのうちを丁寧に描いていたと見ることもできるだろう。

また、ロサンゼルスのオリンピックの時代、アメリカにおいては、日系移民排斥の動きがあった時代でもある。今、まさに、アメリカという国は、移民を排除しようとしている。アメリカの人種政策は、今にはじまったことではない。このあたりを、かなりドタバタ風でありながらも、きちんと描いていたのは、この脚本の良さだと思って見ていた。

今のオリンピックで普通になっている「選手村」が、ロサンゼルスの時からはじまったことも、このドラマで知った。

ところで、ちょっと気になっているのが、田畑政治のつかっていることばに多用される「じゃん」ということば。これは今では、東京方言では普通になってしまっているが、私の若いころ、東京で大学生になったころは、まだ、東京においても新規なことばであったと記憶する。

ジャパンナレッジを見る限りであるが、「じゃん」は、田畑の出身地の浜松方言ということでもないようだ。ちょっと型破りな新聞記者という人物造形ということで、「じゃん」をつかっているのだろうと思うが、どうも耳障りである。

一九四〇年(昭和一五年、紀元二六〇〇年)、東京オリンピックも名乗りを上げることになった(これは、結局、開催されることはないのだが。)このあたりの描写は、後の一九六四(昭和三九年)の東京オリンピックへの布石として、興味ぶかかった。そして、なんとなく、来年(二〇二〇年)の東京オリンピックを批判的に見るようにも感じられた。

次回は、ロサンゼルスでのオリンピックということになる。日本選手の活躍に期待して見ることにしよう。まあ、オリンピックの結果としては、すでに分かっていることなのだが、ここは、ドラマとして、応援したくなる。

追記 2019-08-13
この続きは、
やまもも書斎記 2019年8月13日
『いだてん』あれこれ「黄金狂時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140425