『いだてん』あれこれ「黄金狂時代」2019-08-13

2019-08-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年8月11日、第30回「黄金狂時代」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/030/

前回は、
やまもも書斎記 2019年8月6日
『いだてん』あれこれ「夢のカリフォルニア」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/06/9137958

このドラマを見ていて感じることであるが……オリンピックに出てメダルを取ることは、確かにすばらしい。しかし、たとえ取れなくてもそれに向かって努力することはすばらしい。そして、オリンピックという祭典に参加すること、それ自体がすばらしい……このようなメッセージを感じる。

もう、来年、二〇二〇年の東京オリンピックまで一年をきっている。いくつかの競技においては、メダルが期待されている。そのなかにある選手たちは、大きなプレッシャーのなかにいることは、想像にかたくない。そのような選手たちに対して、オリンピックでメダルを取ることは確かにいいことかもしれないが、それよりももっと価値のあることがある、それは、オリンピックに参加することである……このようなメッセージを、脚本(宮藤官九郎)は語っているように感じられてならない。

ロサンゼルスのオリンピックで、日本選手は活躍することになる。だが、メダルを取らなかった、取れなかったチームのメンバーにも、光をあてている。オリンピックに参加したこと、それ自体が価値のあることなのである、と。

また、このドラマで描いていたのは、オリンピックとメディア。その当時は、ラジオの時代。それから、映画であろうか。速報性ということでは、ラジオである。そのラジオ放送とオリンピックのかかわりが興味深い。

来年の二〇二〇東京オリンピックが、どうして真夏の一番暑いときに開催になったのか。それは、メディアのせいである。オリンピックのテレビ放送の利権は莫大なものになる。それをめぐって、他のスポーツ大会などと、かぶらない時期ということで、真夏の開催になったはずである。これは、本末転倒だと思うのだが、今の世界で、オリンピックを開催するとなると、メディア、特にテレビとの関係を無視して開催することは、もはやできない。そのオリンピックとメディア、この当時にあってはラジオ、その関係を描いていたのは興味深いところであった。

日本というものを確かに背負ってのオリンピック出場かもしれない。だが、その日本を背負っていることを、軽やかに演じて見せているのが、田畑政治(阿部サダヲ)である。その姿は、まさに、スラップスティックである。日の丸が出てきても、日本を語っても、その重みを感じさせるということがない。

次の二〇二〇東京オリンピックは、おそらくは、ある種の狂騒となるかもしれない。その予見される狂騒を、軽やかな視点で見ているのが、脚本(宮藤官九郎)であり、田畑政治(阿部サダヲ)である。

それから、今回の演出で、志ん生と落語の部分がよかった。放蕩無頼の志ん生の若いときの姿、それをささえる妻、どことなく滑稽であり、また、哀愁がただよっている。落語「疝気の虫」をうまくつかっていた。

次回もロサンゼルス大会はつづく。また、東京オリンピック(一九四〇)をめぐって、国際政治のかけひきもある。楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-08-20
この続きは、
やまもも書斎記 2019年8月20日
『いだてん』あれこれ「トップ・オブ・ザ・ワールド」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/20/9143215

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