『どくとるマンボウ青春記』北杜夫2019-08-17

2019-08-17 當山日出夫(とうやまひでお)

どくとるマンボウ青春記

北杜夫.『どくとるマンボウ青春記』(新潮文庫).新潮社.2000(中央公論社.1968)
https://www.shinchosha.co.jp/book/113152/

辻邦生・北杜夫の『若き日と文学と』を読んだら、無性にこの本が読みかえしてみたくなった。

やまもも書斎記 2019年8月9日
『完全版 若き日と文学と』辻邦生・北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/09/9139015

最初、この本を読んだのはいつのころだったろうか。高校生のころだったように憶えている。たしか、中公文庫版であった。何度かくりかえし読んだ本である。

この本について思うことを書けば次の二点になるだろうか。

第一には、やはり松本高等学校(旧制)での学生生活である。

この『青春記』は、前半(松本)、後半(仙台)と分かれているのだが、圧倒的に面白いのは、前半の松本高等学校(旧制)の部分である。旧制の高校の三年間、それは、学校の制度が戦後新しくなる、その最後のときにあたっっている。そこでの「シュトルム・ウント・ドランク」というべき、天衣無縫、だが、非常に真摯な生真面目な学生生活……この部分が実に魅力的である。旧制の高校生活について書かれたものは多くあると思うが、その中で、この『青春記』が群をぬいて知名度が高く、知られているだろうし、かつ、読んで面白い。

それは、まさに、旧制の高校の最後という時期、しかも、戦後のどさくさの時期でもあり、旧制高校の良さも(そして、悪さとでもいうべき点も)、きわめて凝縮されて描かれることになっている。

第二には、文学への思いである。

『楡家の人びと』などの著者であるとことを知って読むと、特に、大学生になってから、医学を学びながらも、文学にこころがひかれていく……その気持ちのゆれが、強くつたわってくる。また、父親の斎藤茂吉についての思いも、そのときどきで揺れうごいている。文学への思い、父親である斎藤茂吉への思い、これらが交錯しながらも、仙台で学生生活をおくっている。

以上の二点が、読み終わって感じるところである。

「パトス」ということばを、私は、この本で憶えた。それから、学問、人生、文学、これらについて、なにかしら得るものがあったと今になって思う。

私が大学生になったのは、一九七〇年代の半ばであるから、この本に描かれたような、旧制高校ではなく、新制の大学においてであった。だが、大学生として学んでいくなかにおいて、どこかしら、この本に描かれたような、学問への、人生についての、思いというものがあったように回想されるのである。(この意味においては、大学生になった私は、一昔前の価値観のようなものを引きずっていたともいえる。)

たぶん、四〇年以上になるだろうが、久しぶりに読んでみても、著者の体験している松本高校学校の学生生活は魅力的である。これは、今の大学などにはとうていもとめることのできないものであろう。しかし、若いということはどういうことなのか、その価値はどこにあるのか……もうすでに若くはない、いや年老いたというべき私においても、若き日の「パトス」の残滓が心のなかにのこっていることを感じる。

この本は、「若さ」を描いた古典として、これからも読みつがれていくにちがいないと思う。ほかにも「青春記」とある本はあるかもしれないが、この本は最後まで残る「青春記」になるだろう。

つづけて『航海記』も読んでおきたい。それから、北杜夫の作品も未読のものがある。今手にはいるものは読んでおきたい、再読しておきたいと思う。また、斎藤茂吉についても、読みなおしてみたいと思う。村上春樹の作品や翻訳を読むかたわら、読んでみよう。

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