『いだてん』あれこれ「前畑がんばれ」2019-09-24

2019-09-24 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年9月22日、第36回「前畑がんばれ」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/036/

前回は、
やまもも書斎記 2019年9月17日
『いだてん』あれこれ「民族の祭典」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/17/9154523

おそらく近代日本オリンピックでの最大の見せ場である、ベルリンオリンピックにおける、前畑秀子の登場である。この回で描いていたのは、次の二点であろうか。

第一には、前畑がんばれ。

これは、もう伝説といってもいい、オリンピックの快挙であり、また、その実況放送である。無論、今の我々は、その放送についても……レコードにもなった……、その、レースの結果についても知っている。それを、その当時の、その選手の視点にたって描いていた。

前畑選手にかかっていたプレッシャーは、かなりのものであったろう、これは、今からでは推測するしかないことである。だが、そのプレッシャーを感じながらも、自分自身のちからで泳ぎ切った前畑秀子の姿を、爽快に描いていたように思う。

私は、このドラマが始まった時から、ベルリンのオリンピック、それは、ナチスによる「民族の祭典」であり、また、前畑がんばれであり、孫基禎のマラソンで勝利と日章旗であり……これらをどう描くことになるのか、気になっていた。それを、このドラマは期待にたがわず、史実をふまえながらも、近代日本のオリンピックの歴史の中に描くことに成功していると思う。

第二は、その次の東京オリンピックである。

一九四〇年(昭和一五年)の東京オリンピックは、どのようなものであるべきか。スポーツの巨大イベントであるべきなのか、あるいは、ベルリンをうけて、国威発揚の祭典であるべきなのか。日本国内で意見の分かれるところになった。

これはまさに、その後の一九六四年の東京オリンピックの開催意義を再考するものであり、さらには、来年の二〇二〇年の東京オリンピックの開催意義について、反省をうながすものである。結果としては、オリンピックは、スポーツ競技大会という範囲を超えて、開催国の国威発揚の場になっていくものであり、その時々の国際情勢のなかで翻弄されながら、今では、むしろ巨大商業イベントになっている。このようなオリンピックの原点としての、スポーツ競技大会、このところを見つめ直す視点が、このドラマにはある。

日本が初めて二名の選手を送り出した、最初のオリンピック参加……その中に金栗四三もいたのだが……その、純朴さ、純粋さは、もはやもとめようはないのかもしれない。だが、オリンピック開催の意義は何にあるのか、その根底を問いかける視点はあるべきである。この意味で、このドラマは、二〇二〇東京オリンピックへの、批判的精神を基本的にもっているものだと思う。

以上の二点が、「前畑がんばれ」を見て思ったことなどである。

次回、日中戦争がはじまって、いよいよ日本は、戦争の時代へとつきすすんでいくことになる。そのなかにあって、オリンピックはどうなっていくのか、結果は分かっていることなのだが、これはこれとして、どう描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-10-01
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月1日
『いだてん』あれこれ「最後の晩餐」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159813

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