『いだてん』あれこれ「最後の晩餐」2019-10-01

2019-10-01 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第37回「最後の晩餐」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/037/

前回は、
やまもも書斎記 2019年9月24日
『いだてん』あれこれ「前畑がんばれ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/24/9157104

いよいよ日中戦争が始まって、東京オリンピックがどうなるかというあたりである。

この回で印象に残っているのは、次の二点だろうか。

第一には、東京オリンピックの招致。

日中戦争の時代、オリンピックどころではないと、それを否定する雰囲気がわきおこる。田畑政治も例外ではない。戦争をしながら、平和のスポーツの祭典であるオリンピックを開催するのは、矛盾している。そのことを一番よくわかっている。だが、どうしても、東京オリンピックを開催したいという思いがある。

いや、田畑政治以上に、東京オリンピックに熱意をかたむけているのが、嘉納治五郎である。なんとかして、東京オリンピックにもっていきたいと念願している。

第二には、その嘉納治五郎のこと。

IOC総会での、嘉納治五郎はスピーチする。自分、嘉納治五郎を信じてくれ。「Believe me.」と懇願する。そのせいもあってか、東京オリンピックの開催ということになる。

だが、その嘉納治五郎は、IOC総会からの帰途の途上で、船のうえで客死することになる。思えば、嘉納治五郎は、このドラマの最初から登場してきている。近代日本のオリンピックは、まさに嘉納治五郎とともにあったと言っていいのかもしれない。嘉納治五郎がいたからこそ、一九四〇年(昭和一五年)の東京オリンピックは開催となった。(しかし、その後の推移としては、開催されないことになるのだが。)

もし、嘉納治五郎があそこで死ななければ、東京オリンピックは開催になっていたかもしれない。であるならば、それはその後の国際情勢に、なかんずく太平洋戦争に、なにがしか影響を与えたのかもしれない……などと思ってみる。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

また、ここまでを見てきた印象としては、どうしても来年の二〇二〇年の東京オリンピックに対する批判的まなざしを感じる。オリンピックを開催して、世界に見せたい日本とは、いったいどんなものなのか。ここのところを根源的に問いかけるところが、このドラマにはあるように感じる。

次回以降、東京オリンピックの開催と戦争をめぐる展開になるようだ。これも楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-10-08
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月8日
『いだてん』あれこれ「長いお別れ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/08/9162470

ニラ2019-10-02

2019-10-02 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので、花の写真。今日は、ニラである。

前回は、
やまもも書斎記 2019年9月25日
キキョウ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/25/9157548

秋になると、我が家のまわりの空き地などに花を咲かせる。白い、まあるい感じの花である。萩の花が咲いて、彼岸花が咲くころである。

ジャパンナレッジの日本国語大辞典を見てみる。

ユリ科の多年草。アジア原産で、葉を食用にするため古くから栽培されている。

とあり、さらに説明がある。用例は、『殿暦』康和四年(1102)、『富家語』(1151~61)から見える。かなり古く、平安の時代からこの植物の名称があったことになる。また、古辞書の項をみると、色葉字類抄、類聚名義抄、などにもあるよしである。

『言海』にもある。

にら 韭 韮 名 古言、みらノ轉。又、カミラ。コミラ。異名、フタモジ。菜ノ名、葉ハ、小葉ノ麥門冬ニ似テ、廣ク厚ク、色淺シ、一根ニ長ク叢生シ、臭氣多シ、幾度モ刈取リテ、復タ生ズ、夏、數莖ヲ生ズ、一尺許、梢ニ、小枝數十ヲ出シ、上ニ三分許ノ六瓣白花ヲ開ク、のびるノ花ノ如シ、實圓ク、内ニ小黑子アリ。野生ナルヲ、やまートイフ、又、水中ニ生ズルヲみづートイフ、臭氣ナシ。おほみらハ、らっきょうナリ。

ニラ

ニラ

ニラ

ニラ

ニラ

Nikon D500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

追記
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月9日
ヒガンバナ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/09/9162816

『遠い太鼓』村上春樹2019-10-03

2019-10-03 當山日出夫(とうやまひでお)

遠い太鼓

村上春樹.『遠い太鼓』(講談社文庫).講談社.1993 (講談社.1990)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000161552

続きである。

やまもも書斎記 2019年9月28日
『その日の後刻に』グレイス・ペイリー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/28/9158550

やまもも書斎記 2019年9月26日
『村上朝日堂 はいほー!』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/26/9157898

村上春樹、ヨーロッパ滞在記、旅行記である。作品でいうと、『ノルウェイの森』から『ダンス・ダンス・ダンス』になる。これらの作品は、著者(村上春樹)のヨーロッパ滞在中に書かれた。

読んで思うことは、次の二点である。

第一には、ヨーロッパの滞在記、旅行記として読んで面白い本でること。

主な滞在先は、ギリシャ、それから、イタリアである。しかし、著名な観光地というべきところには、行っていない。観光地に行くとしても季節外れであったり、そもそも観光地とはいえないような、いわば田舎の街、村に行っている。そこに腰をすえて住まいして、生活し、そして、原稿を書いている。

この滞在記が読んでいて楽しい。ヨーロッパの紀行文は、それこそ山のようにあるにちがいないが、そのなかにあって、ことさらということではないであろうが、著名な観光名所を避けて、ほとんど観光客、それも、日本人が行かないようなところに行っている。そこでの生活、住まいや宿にはじまって、食事のこと、ワインのこと、素朴な人びとのこと、実に読んでいてたのしい。

なるほど、『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』の書かれた背景には、著者(村上春樹)のこのような生活があってのことかと、納得するところがある。

第二には、書いていないことである。

この旅の時は、ちょうど、日本では昭和が終わって平成になったときである。また、世界的に見れば、ベルリンの壁の崩壊の直前の時期でもある。だが、これらの社会情勢、国際情勢についてに、著者(村上春樹)は、基本的に何も語っていない。まるで何もなかったかのごとくである。

これは、おそらく意図的にそう書いているということなのだろう。自分の書いている文章、作品が、世界の歴史の変化の中でどのような意味をもつのか、ある意味で確固たる見通し、位置づけがあってのことにちがいない。日本の社会が、昭和が終わって平成になった、その国民的熱狂、狂騒とでもいうべきものに、まったく無関心でいるというのも、ある意味でいさぎよい。

東西冷戦の終結は、世界史的に大きなできごとであるにちがいない。その前夜にあって、ヨーロッパの人たちが、何を感じて暮らしていたのか、これについても、何もかたっていない。ギリシャやイタリアにおいて、古代からの街の歴史を語ることはあっても、現代史については、ほとんど何も言っていない。これも、それなりに、意図的に書いているのだろう。

以上の二点が、この本を読んで思うことなどである。

村上春樹の作品にどのような政治的意図、背景を読みとるか、それは、読者の自由である。だが、そのとき、その作品……『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』など……が、どのような世界と日本の歴史的、社会的背景のもとに書かれたのか、理解してのうえであるべきだろう。村上春樹と歴史、社会、ということを考えるうえで、きわめて重要な作品であると思う。

次の村上春樹の本は、翻訳の『結婚式のメンバー』の予定。

追記 2019-10-12
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月12日
『結婚式のメンバー』カーソン・マッカラーズ/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/12/9163890

『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ2019-10-04

2019-10-04 當山日出夫(とうやまひでお)

鷲は舞い降りた

ジャック・ヒギンズ.菊池光(訳).『鷲は舞い降りた』(ハヤカワ文庫).早川書房.1997 (早川書房.1992)
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/30834.html

この作品の最初の版は、1975年の刊行。それに加筆して、1982年に「完全版」の刊行になったらしい(解説による。)

私が、これを読むのは、三回目になるだろうか。最初の本(無論、翻訳であるが)を読んで、その後、加筆した「完全版」が出て、そして続編の『鷲は飛び立った』が刊行になったとき、読んだと憶えている。そして、このたび、三度目である。それは、たまたまであるが、村上春樹の『村上朝日堂』を読んでいて、中にこの本のタイトルが出てきていたのを目にしたからである。

やまもも書斎記 2019年9月16日
『村上朝日堂』村上春樹・安西水丸
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/16/9154069

村上春樹は、特に余計な説明を一切加えていない。ということは、この作品は、それだけ著名であり、少なくともタイトルぐらいは、知っていて当たり前、ということを前提にしている。そのとおり、この作品は、戦争冒険小説の傑作である。

読んで思うことを書けば次の二点ぐらいだろうか。

第一に、ヒューマニズムである。

すぐれた冒険小説は、その根底にヒューマニズムの精神がある。この作品を読んでいって……作戦にしがたう軍人たちのもくろみは、失敗におわることになるのだが、そのきっかけになったのは、あるヒューマズムにもとづく行動である。また、最後の方になって、ドイツ軍兵士たちが、村人を解放して、アメリカ軍と戦うことになる、このあたりのいきさつも、ヒューマニズムと言っていい。そもそも、主人公のシュタイナー中佐が、軍功をたてながら、懲罰部隊に配属させられているのは、収容所におくられるはずのユダヤ人の娘をたすけた行動による。

第二には、軍人の名誉である。

登場人物たちの行動を律しているのは、軍人としての名誉の精神であると言えるだろう。イギリスに潜入するとき、変装することになるのだが、しかし、その下には、ドイツ軍の軍服を着ている。そして、最後に戦う時には、ドイツ軍の兵士として戦っている。(この作品の中に解説があるが、戦闘の時には、自軍の軍服を着ていなければならない。そうでなければ、条約違反になる。戦争にもルールがあるのである。)

以上の二点が、この作品全体を通じて感じるところである。

なお、この本、あたらしいのを買ったのだが、その帯をみると、「手嶋龍一が選ぶ国際政治を読み解くスパイ小説10」のなかにはいっているらしい。このような観点からみると、なるほどというところが随所にある。

登場人物は、単に、ドイツ軍とアメリカ軍という図式では理解できない。主人公のシュタイナー中佐は、ドイツ軍の軍人であるが、ナチスには批判的である。ドイツ、イコール、ナチス、という描き方ではない。また、イギリス側にしても、ドイツへの協力者としてでてくる、女性は、南アフリカのボーア出身でイギリスには敵意をいだいている。また、IRAのメンバーが、重要な役割をはたすことになる。さらには、イギリス自由軍として、第二次大戦中にドイツに協力した人間の存在もある。言語としては、英語、ドイツ語の他に、アイルランド語もでてくる。

このように、味方(英米、善)に対して敵(ドイツ、悪)、という図式はなりたっていない。もっと錯綜した、その時代の国際情勢を背景に、緻密に登場人物を描いている。

このような小説が書かれるということを背景にして、現代のヨーロッパを中心として国際社会の構図があることになる。ここで、基本的に「悪」として描かれるのは、ナチスであって、ドイツではない。そのドイツの軍人の、軍人としてのフェアな精神が、この小説にはみなぎっている。

こうした複合的、総合的な視点から歴史を俯瞰するような視点で、もし、過去の東アジアの歴史を描く作品があったらと思うが、私の知る限り、それはそう多くはないようだ。日韓関係についても、日本=侵略者=悪、朝鮮=被害者=善、という図式を、さらにのりこえる視点をもった、そして、史実に立脚した作品が、登場しないものであろうか。

つづけて、続編の『鷲は飛び立った』も読んでおこうと思う。

追記 2019-10-05
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月5日
『鷲は飛び立った』ジャック・ヒギンズ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/05/9161226

『鷲は飛び立った』ジャック・ヒギンズ2019-10-05

2019-10-05 當山日出夫(とうやまひでお)

鷲は飛び立った

ジャック・ヒギンズ.菊池光(訳).『鷲は飛び立った』(ハヤカワ文庫).早川書房.1997 (早川書房.1992)
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/30835.html

村上春樹のエッセイで『鷲は舞い降りた』が登場したので読みたくなって読んだ。その次に、この続編を読むことにした。

やまもも書斎記 2019年10月4日
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/04/9160917

この作品を読むのは、少なくとも二回目になるはずである。『鷲は舞い降りた』は既に読んでいて、その後、この『鷲は飛び立った』が刊行になったとき、買って読んだのを憶えている。その本も、探せばどこかにあるはずだが、今回は、文庫本を新しく買って読むことにした。

シュタイナー中佐は生きていた(これは、書いていいことだろう)。そのシュタイナー中佐を、英国から脱出させて、ドイツにつれてかえる。そのミッションにいどむことになるのが、デヴリンである。IRAの一員として、『鷲は舞い降りた』でも活躍していた。そのデヴリンが、むしろこの作品では主な登場人物となる。

読んで(再読になるが)の印象としては、やはりジャック・ヒギンズの作品だな、と感じさせるところがある。

思うところとしては、次の二点ぐらいを書いておきたい。

第一に、戦争というものを、距離を置いて見ている視点である。人間は戦争を起こす、その一方で、戦争という状況の中に人間はいる。その人間のあり方を、ゲームをしているかのごとく見る視点がある。ここに、戦争冒険小説とはいいながら、どこかニヒルな感じがありもするし、また、そこから独自のヒューマニズムも生まれている。

第二に、第二次世界大戦をめぐる諸相である。単に、アメリカやイギリス……勝った側……から、ドイツ=悪、と決めつけていない。アメリカやイギリスにおいても、ドイツに肩入れする人びとがいた。また、ドイツ内部においても、ナチスに対して反感を持つ人びともいる。これは、『鷲は舞い降りた』でも同様であったと思うのだが、この作品になって、よりその色模様は錯綜したものになっている。

以上の二点が、読んで思うことなどである。

さらに書けば、戦時下の英国のロンドンからの脱出劇をメインとしながらも、その背景にあるドイツ内部での反ヒトラーの権謀術数が進行することになる。結局、シュタイナー中佐を英国から脱出させるのは、何の目的であったのか、その最終目的をめぐって、小説は進行することになる。このあたり、歴史の大局を視野にいれた、戦争冒険小説になっている。

さて、久々にジャック・ヒギンズを読んだつぎは、村上春樹にかえって、そのエッセイと翻訳を順番に読んでいくことにしたい。

『スカーレット』あれこれ「はじめまして信楽」2019-10-06

2019-10-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『スカーレット』第1週「はじめまして信楽」
https://www.nhk.or.jp/scarlet/story/index01_190930.html

信楽は、我が家からそう遠くはない。が、あまり行ったことはない。子どものころに学校の遠足で行ったような記憶がある。それから、近年、一度行っている。MIHOミュージアムに行ってきたので、そのときにたちよった。印象としては、なんだか、タヌキとフクロウばかりが目についたと憶えている。

その信楽を舞台にして、今度の朝ドラがはじまった。見て思うこととしては、BK(大阪)で作ったドラマらしく、朝ドラの王道を行く作りになっているかなと思う。

まず、子役からはじまる。その子どものころの日常生活が、細やかに描かれる。学校、友達、姉妹、それから、しっかりものの母親に、だらしない父親。それから、戦後の闇市。まさに朝ドラの定番である。

そんななかで、印象に残っているのが、草間宗一郎という人物。いったいどんな人間なのか、父親の戦友らしいのだが、詳しい素性は不明である。そのなぞの人物が、ヒロインの喜美子に語りかけるシーンが印象的であった。草間は、喜美子を、一人前の人間としてあつかっている。そして、人間としての生き方をさとしている。

まだ、ドラマははじまったばかりだ。これから喜美子の成長があり、そして、舞台は大阪にうつるはずである。朝ドラが、週に六日の放送は、この『スカーレット』が最後になるらしい。(次の『エール』からは、週に五日の放送になるとのこと。)

このドラマのヒロインの喜美子は、陶芸家をめざすことになる。芸術家と言ってもいいだろう。朝ドラで芸術の世界のことを描くのはめずらしいかもしれない。前作『なつぞら』は、アニメといっても、その芸術的側面には、あまり踏み込むことがなかった。こんどの『スカーレット』は、創作、創造ということをどのように描くことになるのだろうか。このあたりも楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-10-13
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月13日
『スカーレット』あれこれ「意地と誇りの旅立ち」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/13/9164325

『決定版 夏目漱石』江藤淳2019-10-07

2019-10-07 當山日出夫(とうやまひでお)

夏目漱石

江藤淳.『決定版 夏目漱石』(新潮文庫).新潮社.1979(2006.改版) (1974.新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/110802/

私が、江藤淳の『夏目漱石』を読んだのはいつのころのことだったろうか。確か、高校生のころだったかと記憶する。『夏目漱石』を読み、それから、確か講談社だったろうか、著作集のいくつかを買って読んだのを憶えている。飼っている犬の話し、それから、アメリカ滞在のことなど、興味深く読んだことを思い出す。

「則天去私」ということばは、あるいは、江藤淳の『夏目漱石』を通して憶えたのかもしれない。ともあれ、江藤淳より以前、漱石を語るときの定番として「則天去私」があり、それを、若き江藤淳が粉砕した、という経緯は、はっきりと意識して読んだかと思う。

漱石の主な作品は、高校生のときに読んでいたのだが、それと平行して、江藤淳の著作についても読んでいた。そのせいであろうか、私の漱石についてのイメージには、「則天去私」は無い。そのかわりに、江藤淳の『夏目漱石』のイメージが、強く残っている。

江藤淳は一九九九年に亡くなっている。そのとき、たしか永井荷風について書いた本だったろうか、読みかけであった。訃報に接して、本を閉じた。その後、その本は再びひらくことがなく今にいたっている。また、その後、特にそう意図したつもりはないが、江藤淳の書いたものを読むのを避けてきたようなところもある。

が、その死後、二〇年が経過して、再度、手にとってみたくなった。というのも、最近のこととして、次の本が出た。

平山周吉.『江藤淳は甦る』.新潮社.2019
https://www.shinchosha.co.jp/book/352471/

もう江藤淳は過去の人になってしまったのか、という思いがある。まだ、私のなかでは、コンテンポラリーな存在なのであるが。

その主な著作など読みなおしてみたくなって、手にしてみた。そして、そこにある「夏目漱石」のイメージを確認しておきたかった。それは、とりもなおさず、私の「夏目漱石」についてのイメージを形成した重要な存在だからでもある。人間として生き、悩んでいた漱石の姿がそこには描かれている。私が、若いときから、おりにふれて漱石の作品を読んできた、その原点が、そこにはあると確認できる。

ただ、最後の方になって、晩年の漱石と社会主義との関係については、どうかなと思うところがないではない。だが、『明暗』における「小林」という人物の存在は、やはり、どことなく気にかかる。

これから、漱石の作品など、読みなおしていきたいと思っている。それから、書簡集を読んでおきたい。「全集」(岩波版)は持っているのだが、これまで書簡集のところまで読んではきていなかった。そして、江藤淳の著作についても、主なものについては、読みなおしてみたいと思っている。

『いだてん』あれこれ「長いお別れ」2019-10-08

2019-10-08 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第38回「長いお別れ」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/038/

前回は、
やまもも書斎記 2019年10月1日
『いだてん』あれこれ「最後の晩餐」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159813

東京オリンピックは開催されず、日本は戦争の道を進むことになる。

この回で印象にのこることは次の二点であろうか。

第一に、オリンピックの返上。

返上というのがいいのか、中止というのがいいのか、ちょっと迷うところがないではないが、結果的には、東京でのオリンピックは開催されることがなかった。といって、そのかわりに他の都市で開催ということでもなかったので……戦争でそれどころではなかった……中止ということになるのかと思う。

このオリンピック中止のところで、面白かったのは、競技場を木で作ってはどうかという軍からの提案。競技場をつくるための鉄が惜しいということのようがだ、まさか、来年二〇二〇年のオリンピックが、木でつくった競技場で開催になるとは、誰も想像しなかったにちがいない。このあたりの虚実はともかく、二〇二〇オリンピック開催を、批判的に見ているように思える。

また、オリンピックの中止を、選手の視点からとらえていたことも重要だろう。開催に尽力する田畑たちの苦労もあるが、それよりも、一番がっかりしたのは、選手である。その悲痛な思いをうまく表現していたと思う。

第二に、学徒動員。

オリンピックが中止になって、その後、太平洋戦争になる。昭和一八年の学徒動員、この催しが、雨の降るなか、神宮の競技場で開催になったことは、あまりにも有名である。また、そのときの映像も、よく目にするものである。

その神宮の競技場での行進のシーン、記録映像をカラー処理して見せていた。今の技術では、むかしの写真や映画など、白黒のものを、カラーで表現できる。と同時に、VFXの技術をつかって、その行事の場面を再現もしていた。このあたり、NHKは、かなり頑張って作っていると感じるところがあった。

以上の二点が、この回を見て思うことなどである。

さらに書けば、若いときの志ん生が、いよいよ「志ん生」の名前を襲名することになる。このあたりの寄席のシーンなど、実によかったと思う。また、小道具としては、嘉納治五郎の残したストップウォッチをうまくつかっている。

次回、舞台は満州にうつるようだ。虚実いりまじってのこのドラマにおいて、虚の部分になるのかと思うが、どのように描くことになるのか、楽しみにみることにしよう。

追記 2019-10-15
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月15日
『いだてん』あれこれ「懐かしの満州」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/15/9165156

ヒガンバナ2019-10-09

2019-10-09 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので、花の写真。今日は、ヒガンバナである。

前回は、
やまもも書斎記 2019年10月2日
ニラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/02/9160214

この花については、昨年も写している。

やまもも書斎記 2018年10月3日
彼岸花
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/03/8968078

日本国語大辞典、それから、『言海』の引用などは、去年書いたのでくりかえさない。

今年も例年のようにヒガンバナが咲いた。ちょっと遅いかなという印象であったが、ほぼ、秋の彼岸のころになると花を咲かせる。見ていると、花の時期は、わりと短い。一週間もないであろうか。何もなかったところに、地面から茎が伸びてきて、赤い花を咲かせる。葉はない。

色のちがった種類もある。一般には、リコリスと言っているようだ。我が家のちかくでは、普通の赤いヒガンバナしか見ない。ただ、ちょっと自動車で足をのばして、学研都市の記念公園に行くと、黄色っぽいものなど、色がさまざまな花を見ることができる。

が、花の写真を撮るのは、自分の家から歩いて行けるところと、今のところきめているので、その花まで写すことはしていない。

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

Nikon D500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

追記 2019-10-16
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月16日
コスモス
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/16/9165458

NHK『怪談牡丹燈籠』巻の壱「発端」2019-10-10

2019-10-10 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK プレミアムドラマ 令和元年版 怪談牡丹燈籠 Beauty&Fear
https://www4.nhk.or.jp/P5858/

こんなにテレビに見いってしまったのは、ひさしぶりである。

10月6日の夜の放送を録画しておいて、翌日に見た。ただ、ここに文章を書いて掲載するのは、木曜日になってからになる。(火曜日は、大河ドラマ『いだてん』について書いているし、水曜日は花の写真の日としてある。)

ここしばらく、NHKは、尾野真千子主演で、いくつかいいドラマを作っている。『夏目漱石の妻』とか『夫婦善哉』とか。そのシリーズの一つだろうと思って見たのだが、だが、これは、制作において気合いの入れ方が格段に違うと感じさせる。

まず、「映像美」ということを全面に出した作り方になっている。まるで、昔の、白黒の「映画」を見ているようである。色調も押さえた感じにしてある。また、音楽がいい。純然とテレビの画面に「映像美」を感じたのは、ひさしぶりである。ただ、映画などの放送を除いてであるが。

『牡丹燈籠』は、確か、はるか昔に岩波文庫版を読んだ記憶があるのだが、今ではさっぱりと忘れてしまっている。無論、圓朝の落語速記というのが、近代の日本語の成立を考えるうえで重要な資料になっているという、国語学、日本語学の知識はもっている。とはいえ、「圓朝全集」は買いそびれてしまっている。

カランコロン……と言えば……「牡丹灯籠」、あるいは、「鬼太郎」である。もうそれぐらいの知識しか持ち合わせていない。

そして、第一回「発端」を見て感じるところは、実に丁寧に脚本が書かれていることである。この物語は、登場人物が多く錯綜している。それを、いつ、どこで、誰と誰が会って、何をしているの、これがきわめてわかりやすく表現してある。随所に、回想シーンなどあって、これは、誰が何を思っている場面なのか、すぐにわかるようになっている。

お露と新三郎が恋におちる場面など、まさに一目惚れで恋に落ちるという状況を見事に描いていたと思う。まさに、一目惚れそのものである。お国も、この回の最後で、覚悟を決めている。悪女である。全四回の第一回で、場面設定、人物設定は出そろっていると感じさせる。後は、ことが起こるのを待つだけである。第一回を見て、これだけの状況になれば、あと何がおこっても不思議ではない。いったい何がどうなるだろうか。

それにしても、このドラマにおける尾野真千子は、令和の時代の悪女である。実にうまい。そして、美しい。次回も楽しみに見ることにしよう。それから、おくればせながら、『牡丹燈籠』を読んで(再読)おくこととしたい。

追記 2019-10-17
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月17日
NHK『怪談牡丹燈籠』巻の弐「殺意」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/17/9165794