『虞美人草』夏目漱石2019-11-01

2019-11-01 當山日出夫(とうやまひでお)

虞美人草

夏目漱石.『虞美人草』(新潮文庫).新潮社.1951(2010.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101010/

続きである。
やまもも書斎記 2019年10月28日
『野分』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/28/9169902

漱石の作品を、初期のものから順番に読んでいこうと思って手にした。この作品、近年、あまり読むことがなかった。数年おきぐらいに、漱石の作品は読み直してきているのだが、なぜか、長編では、『虞美人草』と『坑夫』は抜かしている。これらの作品、若いとき……学生のころ……読んでいらいになるかもしれない。

『虞美人草』についての、文学史的な位置づけについては、ひととおり知ってはいるつもりでいる。漱石が、朝日新聞に入社して、作家生活をはじめるにあたって最初の作品である。これは、その当時、社会的にも大きな話題になった。

だが、文学作品としての評価は、今一つと言っていいだろうか。今回、読み直してみて、はっきりいって、面白いと思うところが少なかった。登場人物は限定的であるし、場面も限られている。しかし、すんなりと、そのストーリーが頭にはいってくるということがなかった。

これは、この作品特有の、非常に技巧的な文章にも起因するのかもしれない。漱石は、平明な文章を書ける作家である。たとえば、『猫』などを見ても、平易な文章で、登場人物の心の内を描くことができている。

ところで、日本の近代文学のテーマとでもいうべきものを巨視的に見るならば、近代的知識人の内面の苦悩を描く……ざっくり言ってこのようになるのかもしれない。これは、漱石や鷗外のみならず、自然主義、白樺派などをふくめて、総合的にこのようにみることができよう。

『虞美人草』は、まさに近代的な知識人の内面の苦悩を描こうとしたのだろう。そして、そこに、女性を配している。これが、成功したかどうか、むずかしいところがあるかもしれない。後には、『それから』や『行人』などにおいて、懊悩する知識人を漱石は、見事に描いているといえる。

このような観点から見て、『虞美人草』は、はっきりいって、よくわからない小説であるというのが、いつわらざる読後感である。

それから、女性についていえば、どうももうひとつ、登場人物としてその輪郭がはっきりとイメージできない。漱石は、この小説において、女性、特に、藤尾については、特にちからを注いで描いたとは感じるのだが、しかし、女性として魅力的に描かれているとはいいがたいように思えてならない。

このように思ってはみるのだが、しかし、職業作家になった漱石が何をめざしていたのか、その描こうとしていたものが何であったのか、そのあたりはなんとなく感じとれる。この意味では、漱石の作家としての試行錯誤のひとつとして、この作品は評価されることになるのかと思う。

ざっと以上のようなことを思ってみるのだが、その一方で、やはり漱石ならではの作品であると感じるところもある。後年の漱石が描こうとしたことの萌芽とでもいうべきものを、読みながら随所に感じる。また、全編にわたって非常に技巧的な文章で書かれていながら、同時に、随所に詩情を感じるところもある。

特に、最後の章は、漱石の作品のなかでも印象に残るものの一つといっていいだろう。これから、また機会をつくって、再度、再々度、読んで味わっておきたい作品である。

次の漱石は、『吾輩は猫である』である。

追記 2019-11-04
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月4日
『吾輩は猫である』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/04/9172644

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