『いだてん』あれこれ「おれについてこい!」2019-11-05

2019-11-05 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』第41回「おれについてこい!」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/041/

前回は、
やまもも書斎記 2019年10月29日
『いだてん』あれこれ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/29/9170316

来年の二〇二〇年東京オリンピックの、マラソンと競歩が札幌開催ということになった。今になって決めるぐらいなら、はじめから、そのようにしておけばよかったと思うのは、私だけではないはずである。少なくとも、国民のためのオリンピックということは感じられない議論の推移であった。

一九六四年の東京オリンピックのマラソンは憶えている。アベベであり、円谷幸吉である。アベベは、この回にも登場していた。

ともあれ、その一九六四年の東京オリンピックの開催にいたるまでの舞台裏。いろいろな思惑が渦巻いている。日本がメダルを取れる競技を種目にいれたい。そのため、女子バレーボールの登場ということになる。(このオリンピックでの試合の様子、なかんずく最後のソ連との競技は、テレビで見ていたのを記憶している。)

また、政治家が出てくる。政治とオリンピック。あるいは、オリンピックと金の話は、今においても、いろいろと問題になる。そこを、このドラマでは、ドタバタで描いていた。

田畑が追い求めていたもの……純粋に、スポーツを通じて、世界のあらゆる国々の人びとが、「カオス」となって楽しめる……その理想は、確かに伝わってくる。しかし、純粋に理想を語れば語るほど、現実のオリンピックをめぐる政治と金の話、さらには外交の問題が、浮かびあがってくる。

来年、二〇二〇年のオリンピックは、それに参加した選手が……たとえ、予選で敗退したとしても、それに参加したことを誇りに思えるようなオリンピックに、はたしてなるだろうか。このドラマで、一九六四年のオリンピックを通じて「理想」を描くことによって、逆に、来年にさしせまったオリンピックの「負」の面が、浮き上がってくるように思えてならない。

言ってみれば、二〇二〇年東京オリンピックには、「理念」が感じられないのである。

追記 2019-11-12
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月12日
『いだてん』あれこれ「東京流れ者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/12/9175786