『いだてん』あれこれ「東京流れ者」2019-11-12

2019-11-12 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第42回「東京流れ者」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/042/

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月5日
『いだてん』あれこれ「おれについてこい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/05/9173068

オリンピックと政治、それから金の話し。これは、今においても、いや、今だからこそさらにもっと厳しく突きつけられる問題である。

オリンピックは、純粋にスポーツの祭典。スポーツのみによって勝敗をあらそう。そこには、人種や国に区別などない……これは、理想である。現実には、オリンピックには金がかかり、その金を出すところが、口も出す。政府をたよりとすれば、政治がオリンピックに介入することを認めることにつながる。(それに加えて、今日は、スポンサー企業の意向も尊重しなければならなくなっている。)

このようなオリンピックの現状にあって、六四年の東京オリンピックは、ある意味では、かろうじて、その理想を掲げることのできた大会であった……このように今になってみれば、振り返って思うこともできるかもしれない。そのような大会であったのは、おそらくは、ドラマに描かれていたような、田畑政治のような人びとの存在と活躍があってのことなのだろう。

ドラマを見れば見るほど、来年の二〇二〇東京オリンピックは、いったい何のために、誰のために開催するのか、疑問に思えてくる。マラソンと競歩の札幌開催ということについても、開催国である日本の、そして東京の主体性が、まったく感じられない。何よりも、参加する選手のことをどうおもっているのであろうか。

声だけの登場であったが、嘉納治五郎の語った理想は、どこに行ってしまったのであろうか。

ところで、私は、東京オリンピックのことはかなり憶えている。そのころ小学生であった。貧乏だったので、白黒のテレビで見ていた。そして、映画のことも記憶にある。市川崑監督である。その当時、東西冷戦のさなかであったとはいうものの、オリンピックには、世界の人びとの祭典という理念が、かろうじてあったと回想する。

選手村が、かつてはワシントンハイツという米軍施設であったことは、知識としては持っていた。それが、現在の姿にかわっていく過程も、ある意味で興味深い。今から思えば、あそこが選手村になったことは、東京にとってよかったのだろうと思える。

さらに、病後の志ん生が哀愁をおびていた、これから、どうこの物語にかかわってくることになるのか、これも見どころかもしれない。

来年の東京オリンピックを楽しもうという気にはなかなかなれないでいるのだが、ともあれ、このドラマは、オリンピックについていろいろ考えさせてくれる。次回以降を楽しみに見ることにしよう。