『坑夫』夏目漱石2019-11-16

2019-11-16 當山日出夫(とうやまひでお)

坑夫

夏目漱石.『坑夫』(新潮文庫).新潮社.1976(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101017/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月14日
『文鳥・夢十夜』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/14/9176708

この作品を読むのは久しぶりになる。これまで、漱石の作品を読むとき、岩波文庫版で読むことが多かったせいかもしれない。この『坑夫』という作品は、岩波文庫では出ていない。

読んで思うことはいろいろあるが、二点ほど書いておく。

第一には、漱石は、知識人を描く作家であるということ。

この『坑夫』という作品は、文字どおり「坑夫」を描いている。主人公が、ある理由から東京を離れて、流浪している。そこで、「坑夫」にならないかと持ちかけられて、その話に乗ることになる。そして、その鉱山で、どのような生活、仕事がなされているのか、これが、リアルに描かれることになる。

この小説を、自然主義文学のようにまさに「坑夫」の視点から描くこともできたにちがいない。しかし、それを漱石はとっていない。東京でそれ相応の社会的地位にあり、教育もうけたであろう知識人を主人公にして、その目をとおして描くということになっている。

この『坑夫』という作品を読んで思うことは、漱石という作家は、知識人の視点を離れることができなかった作家であるということである。

第二には、擬死の物語であること。

この小説の後半は、鉱山で坑道の中にはいっていく。地下の世界、暗闇の世界、坑道という異世界が、そこにはある。この物語が、読者に語りかけるものは、一種の擬死体験であると言えないだろうか。地下の鉱山の世界は、死のメタファーである。

そういえば、漱石の作品において、初期のものは、何となく「死」をイメージする作品が多いように思える。『夢十夜』とか『倫敦塔』とか。漱石は、作家として仕事を始めるにあたって、なぜ、「死」の世界を描いているのだろうか。(このあたりのことは、漱石研究の分野で、今、どのように論じられているのか、知らないのだが。)

以上の二点が、この『坑夫』という作品を、久しぶりに読んでみて思ったことなどである。

そういえば、漱石が、『土』(長塚節)を激賞したことは知られていることだと思う。そのような知識をもって読むと、社会の最下層とでもいうべきところにいる人びとのことも、漱石は、その視野にいれていたと理解できるだろう。だが、実際の自分の小説世界においては、東京の知識人とでもいうべき人びとを描くことになっているのだが。

次の漱石の作品は、『三四郎』である。

追記 2019-11-21
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月21日
『三四郎』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/21/9179519