『三四郎』夏目漱石2019-11-21

2019-11-21 當山日出夫(とうやまひでお)

三四郎

夏目漱石.『三四郎』(新潮文庫).新潮社.1948(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101004/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月16日
『坑夫』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/16/9177506

『三四郎』の初出は、明治四一年『朝日新聞』である。一九〇八年、といえば、今から一〇〇年以上も前の作品になる。しかし、読んで、その古さを感じることがない。

この作品を読むのも、何度目になるだろうか。何回か読みなおしているのだが、そのたびに、やはり何かに発見とでもいうべきものがある。

なぜ、この作品……一〇〇年以上も前……に古さを感じないのか、ちょっと考えてみたい。

第一には、その文章とことばがある。

『三四郎』の登場人物は、東京語で話している。福岡出身で熊本の高等学校を卒業した三四郎も、この小説のはじめから、東京語である。九州方言、熊本方言ではない。これは、リアルに当時の言語の状況を考えてみれば、おかしい。だが、そこに不自然さを感じさせないのが、漱石の小説としての技量ということになるのだろう。

そして、現代の日本語の文章……口語散文、小説の文章……は、漱石が使った文章の延長線上にあることになる。

第二には、大学という状況設定である。

地方から出てきて、東京の大学で勉強することになった若者が、はたして、どのように考え、行動することになるのか……ここのところを、漱石は、余裕を持って描いている。思えば、この小説を書いたとき、漱石は、すでに東京帝国大学を去って、朝日新聞で小説を書いていたことになる。

かつて東京帝国大学で教えていた漱石だからこそ、そこの学生、教師、あるいは、その周囲の人びと……美禰子など……を、自在に描くことができた。また、同時に、すでに、東京帝国大学を辞めているからこそ、全体として距離をおいて、自由に描くことができた。

以上の二点など思ってみる。

さらに書いてみるならば、当時の大学生は、社会の中で、超エリートであったはずである。しかし、漱石は、エリートしての大学生、あるいは、大学の教師を描いていない。普通に生活し、悩む若者として描いている。ここで、漱石が、普通の若者として描いた三四郎の姿は、一〇〇年たった今でも、色あせることがない。もし、漱石が、煩悶するエリート大学生というふうに三四郎を描いていたならば、今まで読み継がれることはなかっただろう。

この「普通」の若者の姿を描くことに、この作品は成功している。現実の社会の変化、歴史の変動のなかで、若者のあり方は変わってきたにちがいない。だが、ここで漱石が描いた「普通」の若者のイメージは、一つの典型として理念のなかに生き続けていると言っていいだろうか。

それから、美禰子。それから、よし子。以前、この小説を読んだときには、三四郎と美禰子の「恋」の物語として読んだと憶えている。だが、今回、読みなおしてみて、よし子という女性の存在が大きいと感じた。美禰子も、よし子も、ともに、女学生ことばをつかっている。この女学生ことばをつかう女性というものが、漱石の作品群のなかで重要な意味をもつことはあきらかだろう。

この女性のイメージは、続く『それから』『門』へとひきつがれていくことになる。

続いては、『それから』を読むことにする。

追記 2019-11-23
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月23日
『それから』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/23/9180287