NHK「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」2019-11-11

2019-11-11 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKドキュメンタリー BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/1878344/?fbclid=IwAR3BBNIZ__Z2MStBk93bVv3ceUqHyv0TcNd_G2SvtRRruiP5jkaVD8NI3lI

私が慶應の文学部に入学したとき、すでに井筒俊彦は慶應を去った後だった。その謦咳に接することができたのは、イランの革命を経て日本に帰ってから、岩波ホールでの講演会の時のことになる。私が学生のときである。こんなにも魅力的な知性をもった人がいるのか、そのときの感慨はいまだに覚えている。

井筒俊彦はすでにいなかったが、しかし、池田彌三郎先生はいらっしゃった。学部の一年のとき、日吉の教養のとき、『百人一首』を読む講義があったので、それに出た。その後、国文科に進んで、大学院のときには、その慶應でのほとんど最後の時期の講義に出た。

池田彌三郎先生は、井筒俊彦と同期である。慶應の予科が同じ。大学で、始め経済学部に進んだのだが、途中から文学部に変わった。国文を選んだのが、池田彌三郎先生と加藤守夫先生。折口信夫のもとで学ぶことになる。英文に進んで、西脇順三郎のもとで学ぶことになったのが、井筒俊彦。

池田彌三郎先生が講義のなかで、時々、「井筒ってえやつは~~」と、昔話をふと口にされることがあった。

また、鈴木孝夫先生からも、間接的に、井筒俊彦の話があったように憶えている。鈴木先生の講義は、これも学部の一年のとき、たしか「言語」という講義だったろうか……この講義の内容は、後に岩波新書で刊行されることになるのだが……これには、欠かさず出た。ふとした余談で、井筒俊彦のことに言及されることがあったように記憶している。

このところ、夏の読書として、井筒俊彦の本を読むことにしている。岩波文庫で、『意識と本質』(これは以前から刊行されていた)に加えて、今年は、『意味の深みへ』、『コスモスとアンチコスモス』が刊行された。これらの本を、夏の間に読んだ。

ところで、NHKの番組である。録画しておいて翌日に見た。番組の案内役は、サヘル・ローズ。これは、まさに適任であったろう。イラン・イラク戦争によって孤児となり、おさない時に日本にやってくることになった。イスラムの世界、特にイランと、日本とのかけはしとして、いろんな番組で活躍している。イランは、慶應を去った井筒が研究の拠点とした国である。

番組のなかで、戦争中の井筒俊彦に触れた箇所があって興味深かった。戦争中のことについて、井筒俊彦はほとんど語ることがなかったようだ。これに対して、池田彌三郎先生は、折りにふれて戦争中の思い出話など、講義の余談などであったかと思う。また、著書でも書いてあると思う。

井筒俊彦自身は、自分の専門を「言語哲学」と称していたと思う。が、番組では、「東洋哲学」ということで語っていた。しかし、その「東洋哲学」の根底には、言語への深い造詣があってのことであるとも述べていた。

井筒俊彦のことを、ただの語学の天才としてしまうことには、私は同意できない。その語学的才能のうえにたって、めざしたものがなんであったのか、今再びかえりみることが重要になってきている。

井筒俊彦の本は、ほとんど持っているはずである。多くは、学生のとき、岩波書店から出たものである。その連載になった「思想」でも読んだ。その「全集」(慶應義塾大学出版会)、「著作集」(中央公論社)も、持っている。

日本語を母語としている私にとって、井筒俊彦の著作をその母語のことばで読めることは、このうえなく幸せなことだと思っている。

NHKの番組で、イランでは、今日において、井筒俊彦は高く評価されているとのことであった。ひょっとすると、日本においてよりも、イランにおいて評価されているのかもしれない。映画も作られたとのことであった。

日本とイランとは、国際社会のなかで、やはり特殊な関係にあるといっていいだろう。アメリカ中心の外交のなかで、日本が独自性を発揮できているのが、イランとの関係である。そのイランとの関係にかかわることとして、かつて、井筒俊彦が特にイランのイスラム哲学を日本に紹介した仕事は意味のあるものであるにちがいない。あるいはこうも言えようか……井筒俊彦という人の仕事を介して、イスラム世界に親近感をいだいている人間が少なからず存在する、と。すくなくとも、私ぐらいの年代の人間なら、若いときの読書として、井筒俊彦という存在、そして、その向こうにあるイスラムの世界、さらには、「東洋」という世界、それを感じとる経験をもっているのではないだろうか。

井筒俊彦をめぐって、思いつくままに書いてみた。生前、その謦咳に接したことはあるとはいっても、教室でならったことはない。「先生」という敬称はつけないでおいた。

『いだてん』あれこれ「東京流れ者」2019-11-12

2019-11-12 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第42回「東京流れ者」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/042/

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月5日
『いだてん』あれこれ「おれについてこい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/05/9173068

オリンピックと政治、それから金の話し。これは、今においても、いや、今だからこそさらにもっと厳しく突きつけられる問題である。

オリンピックは、純粋にスポーツの祭典。スポーツのみによって勝敗をあらそう。そこには、人種や国に区別などない……これは、理想である。現実には、オリンピックには金がかかり、その金を出すところが、口も出す。政府をたよりとすれば、政治がオリンピックに介入することを認めることにつながる。(それに加えて、今日は、スポンサー企業の意向も尊重しなければならなくなっている。)

このようなオリンピックの現状にあって、六四年の東京オリンピックは、ある意味では、かろうじて、その理想を掲げることのできた大会であった……このように今になってみれば、振り返って思うこともできるかもしれない。そのような大会であったのは、おそらくは、ドラマに描かれていたような、田畑政治のような人びとの存在と活躍があってのことなのだろう。

ドラマを見れば見るほど、来年の二〇二〇東京オリンピックは、いったい何のために、誰のために開催するのか、疑問に思えてくる。マラソンと競歩の札幌開催ということについても、開催国である日本の、そして東京の主体性が、まったく感じられない。何よりも、参加する選手のことをどうおもっているのであろうか。

声だけの登場であったが、嘉納治五郎の語った理想は、どこに行ってしまったのであろうか。

ところで、私は、東京オリンピックのことはかなり憶えている。そのころ小学生であった。貧乏だったので、白黒のテレビで見ていた。そして、映画のことも記憶にある。市川崑監督である。その当時、東西冷戦のさなかであったとはいうものの、オリンピックには、世界の人びとの祭典という理念が、かろうじてあったと回想する。

選手村が、かつてはワシントンハイツという米軍施設であったことは、知識としては持っていた。それが、現在の姿にかわっていく過程も、ある意味で興味深い。今から思えば、あそこが選手村になったことは、東京にとってよかったのだろうと思える。

さらに、病後の志ん生が哀愁をおびていた、これから、どうこの物語にかかわってくることになるのか、これも見どころかもしれない。

来年の東京オリンピックを楽しもうという気にはなかなかなれないでいるのだが、ともあれ、このドラマは、オリンピックについていろいろ考えさせてくれる。次回以降を楽しみに見ることにしよう。

ホトトギス2019-11-13

2019-11-13 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真。今日は、ホトトギスである。

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月6日
コナラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/06/9173439

ホトトギスについては、去年も写している。

やまもも書斎記 2018年10月31日
ホトトギス
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/31/8986470

昨年、日本国語大辞典、それから、『言海』について書いているので、繰り返さない。

今年も、例年のようにホトトギスが咲いた。厳密には、在来種のホトトギスではなく、園芸種のタイワンホトトギスということになるのだろうと思う。この花はかなり好まれているようで、WEBなどの写真を見ると、色の白いものもあるようだ。

我が家のホトトギスは、特に世話をするということもない。普通にしてあるのだが、律儀に、秋になると花を咲かせる。この花、花の咲いたときよりも、まだつぼみのときを見ている方が、なんとなく楽しい感じがする。また、写真に撮るとしても、つぼみのときの方が、フォトジェニックであるとも感じる。

先月咲き始めて、今月になってもまだ咲いている。花の写真を撮るようになって、この花のつぼみを見かけるようになると、秋になったことを思う。来年も、同じように、またこの花の写真を撮ることができればと思っている。

ホトトギス

ホトトギス

ホトトギス

ホトトギス

ホトトギス

ホトトギス

Nikon D500
AF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-ED

追記 2019-11-20
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月20日
ニシキギ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179084

『文鳥・夢十夜』夏目漱石2019-11-14

2019-11-14 當山日出夫(とうやまひでお)

文鳥・夢十夜

夏目漱石.『文鳥・夢十夜』(新潮文庫).新潮社.1976(2002.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101018/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月9日
『倫敦塔・幻影の盾』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/09/9174436

ここには、漱石の小品をおさめる。あるいは、エッセイと言ってもいいかもしれない。小説というよりは、随筆とでも言った方がいいだろうか。が、ともあれ、これを読むと漱石がすぐれた「エッセイスト」であったことが分かる。

次の作品を収録している。
「文鳥」
「夢十夜」
「永日小品」
「思い出す事など」
「ケーベル先生」
「変な音」
「手紙」

読んで印象に残るのは、「文鳥」。ふとしたことから飼うことになった文鳥のことが、淡々とした筆致でつづられる。そこに、過去の淡い記憶が重なって、なんともいえない叙情性を感じさせる。

「夢十夜」。この作品が、漱石理解のうえで重要な位置を占める作品であることは、承知しているつもりでいる。ただ、夢の話がつづく。小説というのとはちょっと違う雰囲気がある。が、随筆でもない。奇妙な印象が残る作品である。しかし、読後感としては、漱石という作家の深奥にふれたような印象がある。

「思い出す事など」。いわゆる修善寺の大患の前後のことを記している。漱石は、危篤状態におちいっている。あるいは、一度死んだとでも言ってもいいかもしれない。その病気のこと、その前後の宿のこと、病院のことなど、冷静に語っている。

一度死にかけた体験を、このように冷静な、しかし、どこか温かみのある文章で、つづることのできた漱石は、あるいは、このような文章を書くことによって、自分の生死を、深くみつめているように感じる。そして、この作品中には、多くの漢詩・俳句が出てくる。生死の間をさまよう体験をした漱石をささえていたのは、前近代からの文学的伝統である、漢詩文や俳諧の世界であったのだろうか。だが、それを書いている漱石の目は、近代人のものである。

修善寺の大患が、漱石の文学にとってどのような意味があるのか……このところが、今どのように考えられているのか、近年の漱石研究にうとい私は知らないのだが、ここ収められている文章を読むと、後年の漱石が、ある意味では、人間を達観視しているようなところがあるかと、思ってしまうところがある。人間のエゴイズムを描くためには、一度自分が、自分自身のエゴイズム……それは「生」の根源にかかわる……を、とことん掘り下げて、通過したところの視点をおく必要がある。漱石の文学を理解するためには、重要な意味のある作品であると思う。

さて、ようやく、これまであまり読んできていなかった漱石作品を読んで、次は、長編小説である。『坑夫』を読むことにする。

この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月16日
『坑夫』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/16/9177506

『大聖堂』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)2019-11-15

2019-11-15 當山日出夫(とうやまひでお)

大聖堂

レイモンド・カーヴァー.村上春樹(訳).『大聖堂』(村上春樹 翻訳ライブラリー).中央公論新社.2007
http://www.chuko.co.jp/tanko/2007/03/403502.html

続きである。

やまもも書斎記 2019年11月8日
『ふわふわ』村上春樹・安西水丸
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/08/9174145

やまもも書斎記 2019年11月2日
『象』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171894

おそらく、日本語を母語としていることの幸福のひとつとして、レイモンド・カーヴァーの作品を村上春樹の訳で読めるということがあるのではないか、こんなふうに思ってみる。(そのほかに私が思うこととしては、『源氏物語』の原文(校注テキスト)があるし、また、井筒俊彦の日本語の著作があるのだが。)

そして、この本を読みながらなんとなく感じたことは、レイモンド・カーヴァーの語る物語世界と、村上春樹の文学世界との共鳴とでもいうべきものである。これは、たまたま、村上春樹の作品(長編、短篇)と読んで、それから、エッセイ、翻訳を読んできているということも影響してのことかとも思う。だが、そのことを割り引いて考えるとしても、レイモンド・カーヴァーの作品に感じる文学的感銘は、村上春樹の短篇、あるいは、エッセイを読んでいるときに感じるものに、どこか通じるものがあると思ってしまう。

村上春樹は、レイモンド・カーヴァーの作品集のなかでは、この『大聖堂』が一番いいと書いている。そうなのだろうと思う。どの作品を読んでも、しみじみとした感銘が残る。

レイモンド・カーヴァーの作品に登場する人物たちは、社会の上流階級というのではない。いや、むしろ、中、下層の人びとと言っていいかもしれない。時代設定としては、同時代。つまり、一九七〇年代以降の二〇世紀のアメリカ社会である。このせいもあってか、現代の日本の社会的状況から、そう違和感なく作品世界のなかに入っていける。(とはいえ、やはり、日本とアメリカとの社会の違い、時代の違いというところを、たまに感じはする。が、それも作品の理解の障害になるということはない。)

描かれているのは、アメリカの現代の(二〇世紀後半の)、普通の人びとである。普通の人びとが、あるとき、ある状況のなかで、感じること、悩むこと、驚くこと、恐れること……さまざまな情感が、細やかなタッチで描写されている。どの作品も短いものだが、ある人びとの人生の、ふとしたある瞬間をきりとって、あざやかに物語っている。

私が読んだ印象では、やはりタイトルになっている作品『大聖堂』が一番よかったように感じた。他のレイモンド・カーヴァーの作品など、読み終えてから再度たちもどって、この本を読んでみたいと思っている。

次の村上春樹は、『村上ラヂオ』である。

追記 2019-11-22
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月22日
『村上ラヂオ』村上春樹・大橋歩
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/22/9179939

『坑夫』夏目漱石2019-11-16

2019-11-16 當山日出夫(とうやまひでお)

坑夫

夏目漱石.『坑夫』(新潮文庫).新潮社.1976(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101017/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月14日
『文鳥・夢十夜』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/14/9176708

この作品を読むのは久しぶりになる。これまで、漱石の作品を読むとき、岩波文庫版で読むことが多かったせいかもしれない。この『坑夫』という作品は、岩波文庫では出ていない。

読んで思うことはいろいろあるが、二点ほど書いておく。

第一には、漱石は、知識人を描く作家であるということ。

この『坑夫』という作品は、文字どおり「坑夫」を描いている。主人公が、ある理由から東京を離れて、流浪している。そこで、「坑夫」にならないかと持ちかけられて、その話に乗ることになる。そして、その鉱山で、どのような生活、仕事がなされているのか、これが、リアルに描かれることになる。

この小説を、自然主義文学のようにまさに「坑夫」の視点から描くこともできたにちがいない。しかし、それを漱石はとっていない。東京でそれ相応の社会的地位にあり、教育もうけたであろう知識人を主人公にして、その目をとおして描くということになっている。

この『坑夫』という作品を読んで思うことは、漱石という作家は、知識人の視点を離れることができなかった作家であるということである。

第二には、擬死の物語であること。

この小説の後半は、鉱山で坑道の中にはいっていく。地下の世界、暗闇の世界、坑道という異世界が、そこにはある。この物語が、読者に語りかけるものは、一種の擬死体験であると言えないだろうか。地下の鉱山の世界は、死のメタファーである。

そういえば、漱石の作品において、初期のものは、何となく「死」をイメージする作品が多いように思える。『夢十夜』とか『倫敦塔』とか。漱石は、作家として仕事を始めるにあたって、なぜ、「死」の世界を描いているのだろうか。(このあたりのことは、漱石研究の分野で、今、どのように論じられているのか、知らないのだが。)

以上の二点が、この『坑夫』という作品を、久しぶりに読んでみて思ったことなどである。

そういえば、漱石が、『土』(長塚節)を激賞したことは知られていることだと思う。そのような知識をもって読むと、社会の最下層とでもいうべきところにいる人びとのことも、漱石は、その視野にいれていたと理解できるだろう。だが、実際の自分の小説世界においては、東京の知識人とでもいうべき人びとを描くことになっているのだが。

次の漱石の作品は、『三四郎』である。

追記 2019-11-21
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月21日
『三四郎』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/21/9179519

『スカーレット』あれこれ「弟子にしてください!」2019-11-17

2019-11-17 當山日出夫(とうやまひでお)

『スカーレット』第7週「弟子にしてください!」
https://www.nhk.or.jp/scarlet/story/index07_191111.html

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月10日
『スカーレット』あれこれ「自分で決めた道」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/10/9174882

この週で、喜美子は、フカ先生の弟子になることができた。この経緯をしみじみと描いていたと思う。

火鉢の絵付けに興味をもった喜美子は、フカ先生に弟子入りすることを決意する。そのフカ先生が、なぜ火鉢の絵付けをしているのか、その理由を語ったシーンが印象的であった。戦争で、戦争画を描かざるをえなかった時代を経て、自由に好きなものを描いてよい時代になった。その喜びがある。だから、火鉢の絵付けをしていると、自然と笑いがこみ上げてくる。このあたりの描写が、シリアスでもあり、ちょっとコミカルでもあり、よかったと感じる。

これから、陶芸家として生きていくことになるであろう喜美子のなかに、このフカ先生の気持ちがうけつがれていくことになるにちがいない。

そのフカ先生と、喜美子の父が酒場で話しをする場面も面白かった。酒場で意気投合したのだが、父親は、それがフカ先生であると最初は気付かなかった。しかし、フカ先生の人柄にほれた、というのだろうか、喜美子のフカ先生への弟子入りを許すことになる。

また、ちや子さんは雑誌記者になった。琵琶湖大橋の建設を取材にやってきた。このちや子さん、これからも、また登場することがあるだろうか。陶芸家として成長していく喜美子を見守る存在であるような気がする。

土曜日のおわりで、また歳月が経過していた。喜美子は、一人前になれたのであろうか。また、照子や信作との関係は、今後どうなっていくのであろうか。これから、さらに波乱がおこりそうな予告であった。次週も楽しみに見ることにしよう。

ところで、ドラマは、昭和三〇年すぎの時代。思い起こせば、この時代まで、火鉢というのは、生活必需品であった。我が家でも、使っていた記憶がある。戦後の日本の生活様式の変化と、陶磁器産業の変遷も、またこのドラマで描かれることになるかと思う。このあたり、これからどのように描かれることになるのか、注目していきたいとも思っている。

追記 2019-11-24
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月24日
『スカーレット』あれこれ「心ゆれる夏」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/24/9180650

『おしん』あれこれ(その九)2019-11-18

2019-11-18 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2019年10月21日
『おしん』あれこれ(その八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/21/9167172

このドラマをこれまで、近代における女性の自立の物語であると思って見てきた。そのような側面は変わらないのだが、ここにきて別の印象を感じるようになってきた。それは、『おしん』は、「家族」の物語でもある、ということである。

このドラマには、いくつかの「家族」が登場する。

まず、故郷の山形の谷村の「家族」。が、これは、「家族」というよりも「家」と言った方がいいかもしれない。幼いおしんは、その「家」の維持のために、奉公に出されることになった。

次に、加賀屋。これも、加代を中心として、一つの「家族」であった。が、ここでも、やはり「家族」というよりは、加賀屋という「家」であったように思える。その「家」の跡取りとしての加代の立場が、その人生に大きくかかわることになる。

その加賀屋も、昭和の大恐慌のなかでつぶれることになる。加賀屋という「家」がつぶれれば、それは、加代にとっても自分の居場所を失うことにつながる。結局、最後は、東京に出て、陋巷に死ぬ、ということになっていた。

また、佐賀では、封建的な田倉の「家」の犠牲になることをいさぎよしとしなかったおしんでもある。佐賀の「家」を出て、東京に、山形に、そして、伊勢へと移っていくことになる。

そして、おしんは、伊勢で新しく田倉の「家族」をつくっていく。長男の雄、次男の仁。それに、加代の遺児である希望(のぞみ)をひきとって、「家族」の一員として育てる。

さらには、身売りされるところであった、初をもひきとることになる。初もまた、伊勢の田倉の「家族」になる。

ついで、新しい子どもとして禎も生まれることになる。結局、おしんは、五人の子どもの母になる。

このように見てくると、伊勢の田倉については「家族」ということばがふさわしいように思えてならない。言い換えるならば、山形の「谷村」の「家」、佐賀の田倉の「家」、これを棄てて、あたらしく伊勢で、田倉の「家族」を形成していくというふうに理解できるかもしれない。

近代日本において、「家」から「家族」へ、この大きな流れを、おしんという女性は生きていくことになる、私は、今のところ、このように思って見ている。これから、このドラマで、おしんがどのような「家族」をつくっていくことになるの……以前の再放送のときに見てはいるのだが……再度、このドラマの展開を見ていきたいと思っている。

追記 2019-12-14
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月14日
『おしん』あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/14/9188996

『いだてん』あれこれ「ヘルプ!」2019-11-19

2019-11-19 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第43回「ヘルプ!」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/043/

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月12日
『いだてん』あれこれ「東京流れ者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/12/9175786

東京オリンピック(一九六四年)のとき、私は小学生だった。オリンピックのことは記憶に残っているのだが、その前に開催されたアジア大会のときのことは、さっぱり憶えていない。

そのアジア大会のときのもろもろの舞台裏を描いていたのが、この週であった。

国際的なスポーツの大会に、政治がからんでくるのはしかたないことなのかもしれない。純粋にスポーツの祭典としてのオリンピック……それは、田畑が目指しているものであり、また、かつて嘉納治五郎が理想としたものであった……これは、現実には無理なのかもしれない。

そういえば、モスクワでのオリンピックのとき、アメリカが参加しないので、それにならって日本も参加しない、ということになった。その前のロサンゼルスのときは、東西両陣営のかけひきが逆であった。

ともあれ、このドラマを見ていると、来年の二〇二〇東京オリンピックが、いったい何のために、誰のために、開催されることになるのか、その根底を問いかけているように思えてしかたがない。真夏の開催といい、それに配慮しての、マラソンと競歩の札幌開催への変更といい、最も考えられるべき選手のことが、一番考えられていないとしか思えない。

ただ、現在の我々は歴史の結果を知っている。一九六四年の東京オリンピックは、成功するのであるということを。だからこそ、その成功のうらにある、種々の生臭いに人間のドラマを、ある意味で安心して見ていることができる。しかし、これを同時代の視点で考えるならば、まさに東京オリンピックは、綱渡りであったことが理解される。

その歴史の結果を知っているからこそ、それにいたる人間のドラマに興味をもつ。次回以降、どのような展開になるのか、楽しみに見ることにしよう。

また、このドラマは、ここに来てスポーツのドラマから、政治のドラマに変わってきてもいる。戦後政治の暗闇の部分をえぐり出すような雰囲気を感じさせる。

さらには、晩年の志ん生が、これからどのようにオリンピックにかかわっていくのか、これも見届けておきたいと思う。

追記 2019-11-26
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月26日
『いだてん』あれこれ「ぼくたちの失敗」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/26/9181413

ニシキギ2019-11-20

2019-11-20 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真。今日は、花ではなく実である。ニシキギの実を写してみた。

前回は、
やまもも書斎記 2019年11月13日
ホトトギス
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/13/9176208

このニシキギは以前も写している。

やまもも書斎記 2017年11月15日
ニシキギ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/15/8727789

図鑑などを見ると、ニシキギと、コマユミは、よく似ているようだ。違いは、ニシキギの方には、枝に板状の突起「翼」があることで見分ける。

『言海』には、「にしきぎ」の項目はあるが、この木のことではない。ただ、「まゆみ」の項目のなかに、「錦木」への言及がある。

ちなみに、その箇所をみておく。

まゆみ 檀 名 〔眞弓ノ義、材、弓ニ作ルニ良シ、因テ檀弓(マユミ)ナドトモ記ス〕 灌木、高サ丈許、枝葉對生ス、葉ノ長サ一寸許、橢ニシテ尖リ、細鋸齒アリ、春、小枝ヲ分チ、四瓣ノ淡綠花ヲ開ク、大サ三分許、實、平タクシテ尖リ、長サ二分餘、秋、熟シテ微紅ナリ、自ラ裂ケテ、紅肉ヲ現ハス、肉中ニ一白子アリ、冬ノ初ニ、葉、紅又ハ紫ニ染ミテ美シ、因テ、東國ニテハ錦木ノ名アリ。

手元の簡便な図鑑では、秋に赤く紅葉したときの様子を愛でる木として載っているのだが、我が家のものは、葉がきれいに色づくことはない。そのかわり、小さいきれいな赤い実がみえる。先月のうちは、朝起きてこの木の実を写真にとっていた。今年は、数がそう多くなかったが、しかし、秋の朝、赤い小さな実が実っているのを、写真に撮るのは、これはこれで一つの楽しみであった。

初夏のころ、この木には、小さな花が咲くのが観察できる。来年以降も、この木のことを見ていきたいと思っている。

ニシキギ

ニシキギ

ニシキギ

ニシキギ

ニシキギ

ニシキギ

Nikon D500
AF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-ED

追記 2019-11-27
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月27日
アラカシ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/27/9181787