『村上ラヂオ2』村上春樹・大橋歩2019-12-07

2019-12-07 當山日出夫(とうやまひでお)

村上ラヂオ2

村上春樹(文).大橋歩(画).『村上ラヂオ2-おおきなかぶ、むずかしいアボカド-』(新潮文庫).新潮社.2013(マガジンハウス.2011)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100165/

続きである。
やまもも書斎記 2019年11月30日
『愛について語るときに我々の語ること』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/30/9183071

やまもも書斎記 2019年11月22日
『村上ラヂオ』村上春樹・大橋歩
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/22/9179939

最初の『村上ラヂオ』の「アンアン」連載が、2000年(2001年に単行本、2003年に文庫本)。その一〇年後に、再度「アンアン」に連載したものである。

前の本との間に一〇年の開きがあるのだが、つづけて読んで違和感なくこの本のなかにはいりこんでいける。

村上春樹のエッセイというと、安西水丸と組んだものを先に読んでいるのだが、それらとくらべて、やはり、ちょっと雰囲気が違う。安西水丸とのものは、もっと気楽に肩の力をぬいて楽に書いていると感じる。それに対して、この『村上ラヂオ』では、少し気取った雰囲気の文章になっている。気取ったというか、ちょっと文章にひねりをきかせてあるというか、とにかく、少し身構えたところを感じてしまう。

だが、そうはいっても、そんなに大上段にふりかぶって大事を論じるというのではない。どの文章も、日常のささいなことをめぐる、ふとした感想のようなものが、独特の軽い感じの文章でつづってある。

ただ、このエッセイを読んで、なるほど村上春樹の小説はこのような背景があって書かれたのかと、思わずに納得するところがいくつかある。この意味では、村上春樹文学の理解にとって、重要な意味をもつ本であると言えよう。

「アンアン」連載ということもあるのだろう。著者(村上春樹)自身は、特に読者を意識することはないと書いてはいるのだが、それでも、やはり、「アンアン」という雑誌に書いているということで、若い女性(たぶん、読者として想定されるのは、こうなるだろう)を意識していると感じさせるところがある。そして、それが、自然に文章の味わいとなっている。これを、一〇年間のブランクがあるにもかかわらず、前の作品と同じ雰囲気で、文章が書けるというのは、やはり村上春樹の文章の才能と言っていいだろう。

新潮文庫では、『村上ラヂオ』は、三冊出ている。続けて読んでいきたい。

追記 2019-12-13
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月13日
『ビギナーズ』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/13/9188650

追記 2020-01-11
この続きは、
やまもも書斎記 2020年1月11日
『村上ラヂオ3』村上春樹・大橋歩
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/11/9200606