『いだてん』あれこれ「時間よ止まれ」2019-12-17

2019-12-17 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』最終回「時間よ止まれ」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/047/

前回は、
やまもも書斎記 2019年12月10日
『いだてん』あれこれ「炎のランナー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/10/9187465

終わった。これまで見てきて思うことなど、書いてみたい。

このドラマの主人公は、誰なのだろうか。一般的な見方をするならば、金栗四三であり、田畑政治である。それに、志ん生がいる。だが、ひょっとすると、嘉納治五郎であったのかもしれない。しかし、最終回まで見て思うことは、このドラマは、これらの登場人物が入り交じっての群像劇ではなかったか、ということである。

とにかく、登場人物の視点が、複数にまたがっている。だが、その一方で、焦点が、オリンピックという一点に集中してもいる。この意味では、オリンピックをめぐる人びとのおりなす壮大な人間ドラマであったというべきだろうか。

ここで、私の思うことを書いておくならば……オリンピックはまさに参加することに意義がある。かつて、日本は、たった二人の選手を派遣するところからオリンピックにかかわることになる。その成績は、マラソンの金栗四三は、レースの途中で行方不明になる、三島弥彦は、棄権ということになった。だが、このようなオリンピックから、日本のオリンピックがスタートしたこと、そのことを、丁寧に描いてきたということは、意味のあることであろう。

一九六四年の東京オリンピック。このとき、確かに参加国は多かった。また、日本もいくつかのメダルを取ることができた。だが、それのみではないであろう。ドラマで登場していた、ザンビアの選手。メダルが取れたかどうかは、知らない。だが、オリンピックの閉会式が、まさに母国の独立の日であったことは印象的である。

あるいは、オリンピックに参加しても、メダルの一つもとれない選手、国の方が多いのかもしれない。だが、そこに、国を代表して参加することの意義は、確かにあるというべきだろう。

来年、二〇二〇年の東京オリンピック。メダルの行方も気にならなくはないが、しかし、その一方で、忘れてはならないのは、メダルの取れない選手の方が圧倒的に多いという事実であり、また、一つもメダルが取れなくても、ただオリンピックに参加するという国もあるだろう。私は、そのような選手、また、国に対してこそ声援をおくりたいと思う。

参加することの意義を感じられるオリンピックこそ、私は期待したい。これが、このドラマを一年間見てきて、最後に思うことである。

2019年12月16日記

追記 2019-12-24
この続きは、余談として、
やまもも書斎記 2019年12月24日
『いだてん』あれこれ(余談)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/24/9193198